2007年7月21日 (土)

地下室の本棚の近況

地下室の本棚を始めて四年になる。本棚と呼ぶボリュームではないが、問題は、言うまでもなく量より質である。四年前の私はといえば、語学はさっぱりだし、むろん翻訳の経験もなかった。なにを血迷ってこんなことを始めたのか、自分でも謎である。ともかく、質を云々するレベルではなさそうだ。前に訳したところを見直すとたいがい間違いが見つかる。だから、公開した作品は見直さないようにしている。第一に、億劫だし、それより恥ずかしいし、恐ろしいからだ。しかし・・・前に訳して公開を控えていた(英訳からの重訳で、ひょっとすると著作権にひっかかるのではと思って)ドストエフスキーの鰐、おとなしい女をそこそこだったら公開しようと思って見直したら、これが惨憺たるものだった。(もう一度、ロシア語の原文にあたって一からやり直すことにしたので当分お蔵入りだ)。してみると・・・

・・・私が初めて訳したのはディケンズのクリスマスキャロルだ。当然これもめちゃくちゃにちがいない。そこで読んでみると・・・自分でもわけのわからない文章は字面だけ読んですっ飛ばしていけば、つまり、いろいろな意味で目をつぶって読めば、そこそこ読めなくもない、が・・・やっぱりだめだった。せっかくの名作だからなあ。少しずつでも直していかなくてはいけないと思うのだが・・・うーむ。時間がかかりそうだ。だって新しいものをやりたいもの・・・不誠実である。まったく不誠実である。ディケンズに申し訳ない・・・いや、これも、これくらい自分を責めておけばいいだろう、という魂胆がみえみえである。というわけで、やっぱり時間がかかりそうだ。

とはいうものの、クリスマスキャロルだって一生懸命に、私なりにがんばってやったつもりである。今見直して間違いに気づくということ、多少なりとも責任感が出てきたということ、これは進歩だ。しかし一方、ゼロから始めて独学ということは、欠点ばかりを増長させているかもしれない。やる気をなくすほど罵倒されるのは困るが、品よく指摘をしてくださる方があると嬉しいのだが。(coderati[coderati@msn.com]まで。あるいはここにコメントをくださるのも歓迎--すぐに修正しなくてもそういう意見があることが皆さんにわかるので)。しかし、今までのところほとんど反応がない。無理もない、他人の下手な訳を調べて間違いを指摘してやろうなどという暇な人はあまりいないだろう。山形浩生氏のような著名人の、世間に影響のあるものならともかく、どこの馬の骨ともわからないcoderatiのなんかつついてどうする。まあ、しょうがない。が、とにかく、ご意見、ご感想など希望します。原文なんか見なくても、日本語がおかしいと思ったら指摘してください。たいてい誤訳だから。(もちろん、間違いの指摘だけじゃなく、『読みましたよ』だけで嬉しいのですが)。

さて、ここのところは、ドストエフスキーの白痴で手一杯である。なかなか思ったような日本語にならず、頭の奥では『そうじゃない、別の言葉があるはずだ』と思っているのに、どうしても出てこないので妥協してしまうことが多々ある。それにいまひとつ方針が定まっていない。で、不満の残るまま、第一部を終えた(ここ)。一部を終えるのに約一年。四部まであるからなあ。このうえほかのものにまで手を出したらいつになったら終わることか。でも、ひとつのことばかりやっていたくない時もあるし。現在抱え込んでいる(というよりほっぽりだしてある)のは、上述の『鰐』および『クリスマスキャロル』の修正、ホームズの『最後の事件』、ロレンスの『アロンの杖』。なんとかしなくては・・・

・・・とりあえず、『最後の事件』を片付けることにしました。近々公開予定(7月21日追記)・・・

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2007年1月10日 (水)

ドストエフスキー・白痴4

ドストエフスキーの白痴の公開を開始しました(ここ)。まだ1~2%。文字通り劇的な訳を目指したいところではありますが、そういうことのできるレベルには達していないのでねえ。なるべくおもしろさが伝わるように、くどくどしないように、と心がけましょう。登場人物の呼称ですが、前にも述べたように、読者の方々にはわずらわしいかもしれませんが、なるべく原文に沿って。慣れればそのほうが正確にニュアンスが伝わるはずです。それに、ガヴリーラ・アルダリオーノヴィチ(名と父称、姓はイヴォルギン)をガヴリーラさんとかガヴリーラ君とか訳すのは間違いに近いのではないですか?むしろイヴォルギンさん(または君)でしょう。私は断然、ガヴリーラ・アルダリオーノヴィチのままでいきます。アルダリオーノヴィチとアルダリオーヌイチを統一することもしません。ただムイシュキン公爵がスイスで世話になった医者のシュナイデルをシュナイデルと言っているところは『さん』をつけることにします(それが正しいことかどうかはわかりませんし、これはまだ先の話です)。

ところで、Project Gutenbergにドストエフスキーの『白痴』の英訳があります。Eva Martinという人の翻訳ですが、これが名訳かどうかは私にはわかりません。ただ、参考にしようと思って見ると、これがまったく参考にならない、そこが非常に参考になります。どうして参考にならないかというと、訳しにくい(と私に思われる)ところはばっさり切り捨ててあるからです。意訳や勝手な創作の部分もありますが、何より特徴は大胆な省略(こういうことは、たとえばConstance Garnettさんの『罪と罰』の翻訳ではなさそうです)。しかし、それで通用するなら(どうやら通用しているらしい)、物語の大部分を損なわずにすむなら・・・・・原文に忠実であろうとするあまり文章になっていない翻訳をするよりいいのかもしれません。ま、この世の中に、翻訳かくあるべし、というようなものが存在するのかどうか、私は知りませんが。

私はまだあえて勝手なことができるレベルに達していないので、できればドストエフスキーのご機嫌をそこねないようなものにしたいですねえ。しばらく一ヶ月に一章のペースでいければと思っています。何年か前に『地下室の手記』を訳し始めた時には一日に一行も進まない日もあったことを思えばずいぶん進歩したものです。

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