2006年11月27日 (月)

白痴3・登場人物の呼称

白痴は長い。今のペースでは読み終わるのに十年かかりそうだ。何とか来年中には第一部の訳文だけでも公開したいものだが・・・イッポリート・チェレンチェフじゃないが、もう少し自分の手に合ったものを選ぶべきだったか・・・フム・・・ところで、『ロシア人の名前』でも触れたが、登場人物の呼称について--

どうだろう、多くの日本人読者にとって長たらしいロシア人の名前がわずらわしいものであり、快適に読む邪魔になるとしたら・・・・・翻訳者が名前を簡略化するのも正しいことになろう。たとえば、エパンチン将軍の秘書、ガヴリーラ・アルダリオーノヴィチ(名と父称)をガヴリーラとかガヴリーラさんとかガヴリーラ君とか、あるいはイヴォルギン(これは姓)君などとするわけだ。そう、この『さん』とか『君』がいるかな。いきなり、ガヴリーラ・アルダリオーノヴィチとやっつけると自分のことでもないのに呼び捨てにしたとか言って怒り出す人がいるかもしれない(いやはや、我ながら心配性だ。)まあいいや。とにかく、ガヴリーラもガーニャもガーネチカもガンカも、いや、それどころかナスターシャもナターシャもおんなじだ、区別する必要なんかない、という人が大勢だとしたら・・・・・それに、こういうこともある。エパンチン将軍夫人は、エリザヴェータ・プロコーフィエヴナ・エパンチナという。復習:エリザヴェータは名(よくリザヴェータといわれる、愛称リーザ)、プロコーフィエヴナは父称(つまりお父さんがプロコーフィ)、エパンチナが姓(旦那と語尾が違うことに注意)である。で、次の三つの文章は三人の人が彼女の名を口にしているところだ。

「あなたじゃないですか、・・・・・エリザヴェータ・プロコーフィエヴナに手紙をお出しになったのは?」

「私があなたを知らないとはいっても、エリザヴェータ・プロコーフィエヴナはもしかすると同名の人を見てみたいかもしれない・・・・・」

「僕、実を言いますと、エリザヴェータ・プロコーフィエヴナが僕の書いた手紙を思い出してくださるかもしれない、と当て込んでいたんです。」

最初がエパンチン将軍の秘書、ガーニャ、次がエパンチン将軍、最後がムイシュキン公爵の言葉(登場順)である。夫が妻の名を口にしたところ、秘書も他人も同じように呼んだ、これは日本では変なことになりますよ。てなわけで、秘書と公爵のセリフは奥様とか奥さんとか将軍夫人とか、エリザヴェータさんはくだけすぎかなあ、まあ、変えるんですかねえ。あえてそういうことをせずに、原文どおりで行こうとするなら、前書きで説明かなんかしないとねえ。でもそんな前書きなんぞ読む人は少ないだろうし、それにおそらく問題はそこにあるんじゃないな。一口に飲み込めないカタカナの羅列を頭は雑音として処理したがる、それで読んでていやになるんだ。そういうわけで、世の中に出る翻訳作品はご親切なしろものになるわけである。

しかし、世の中がそうなら、今更わたくしめが同じようなものを公開したって仕方あるまいよ。原文に忠実に行きましょう。ねえ、気を入れて読んでればガヴリーラ・アルダリオーノヴィチと・アルダリオーヌイチのニュアンスの違いなんざすぐわかるから。愛称の使い分けだってなんとなくね。それに名前の問題は結構重要ですよ。たとえば、語り手が誰なのか、などという(もしかしたら無益な)せんさくをするのにも。それからドストエフスキーの長編に親しんでいる人ならおわかりだろうが、カテリーナ、リザヴェータ、ワルワーラ、ナスターシャという女性の名はやたらよく出てくるが、罪と罰や悪霊のナスターシャを思い出す時、なぜ白痴のヒロインがナスターシャという名なのかなんて考えるのもおもしろい。お父さんもフィリップだしねえ・・・あれ、本題からそれた。いや、とにかく、ロシア語は読めないが細かい所を知りたいというドストエフスキー好きの人にいくばくか役に立つ訳を提供できれば、と思う次第であるが、手に余るかなあ。

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2006年8月10日 (木)

カラマー族の兄弟分・白痴2

ロシアの方が見て気を悪くすることもないと思いますが、素朴な疑問を一つ。私の想像ではペテルブルグあたりに住むロシア人は皆色白だという気がするのですが、ロシア人同士で見れば色の白い、黒いがあるのでしょうか。

白痴のラゴージンがчерномазый(チェルノマーズイ:浅黒い、色黒、黒人)と(語り手に)呼ばれているので、ふとそんなことを考えたのですが、さて、このチェルノマーズイの訳語はどうしたものでしょう。まずは冒頭のラゴージンについての描写から、ちょっと長くなりますが引用しましょう(拙訳)。

その一人は背は低めで、二十七歳、ほとんど真っ黒な巻き毛、灰色の小さな、しかし燃えるような目をしていた。鼻は平たく広がり、頬骨の高い顔だった。薄い唇には絶えず厚かましい、あざけるような、悪意さえある微笑が浮かんでいた。しかしその額は秀でて形よく、下品な発達を遂げた顔の下半分をカバーしていた。特に目につくのはその顔の死人のような青ざめ方で、それが、かなり頑丈なつくりにもかかわらず、若い男の顔全体にやつれた感じを与えていたが、また同時にそれは、ずうずうしい粗野な笑みや、鋭い、自己満足したその目つきと調和しない、苦しいまでに情熱的な何かを伴っていた。

自己分裂気味のラゴージンのいわくありげな描写ではありますが、見ての通り、浅黒い、とは書かれていません。もちろん、病的な青ざめているのと、もともとの浅黒さは矛盾しませんが、この文章を見て浅黒い顔を想像はしませんよね。それどころか、これをいきなり『浅黒い男』と呼ぶのは無理があるような気がします。ところが、この後語り手は初め二度ばかりこの男をчерноволосый(黒髪)と呼んでいるのですが、少しして突然、

会話が始まった。スイス式マントを着たブロンドの若い人は目の前の浅黒い男のあらゆる質問に対し、(以下略)

と、ラゴージンは『チェルノマーズイ』になります(ちなみにブロンドの若い人はムイシュキン公爵)。この後も『チェルノマーズイは尋ねた』式に計12回(ラゴージンと自分で名を言う前後まで)、ラゴージンはチェルノマーズイと呼ばれます。で、上の訳例ではチェルノマーズイを浅黒い、としてみましたが、どうも違和感があります。というより誤訳だという気が。

浅黒い顔なら、最初の人物描写でそう書くでしょう。背が低めで、真っ黒な巻き毛、燃えるような目、それに浅黒い、となればラテン系を思わせる、情熱型の人間、それで筋が通ってるじゃないですか。でもそう書いてない(それにはわけがあるにちがいない)。だとすると、ラゴージンは全然浅黒い顔じゃないんじゃないでしょうか。では、チェルノマーズイは?黒い髪、それとラゴージンが黒いコートを着ているので、全体の印象をとらえて『黒い人』といったのでしょうか。

なぜ、あえてチェルノマーズイなんでしょう。черномазыйを分解すると、черноは『黒に』、мазыйはмазать(塗りつける)から派生したらしい。では、『黒塗り』ですか。別に意味もなさそうですが・・・しかし。

ここで、『カラマーゾフの兄弟』の中で、スネギリョフ夫人がアレクセイ・カラマーゾフを『チェルノマーゾフさん』と呼んでいることを思い出さないわけにはいきません。ロシア語のカラ(кара)は刑罰、報いの意味ですが、昔のロシア語ではカラ=黒い、だったようで、カラマーゾフも黒塗りさんですね。ま、それでスネギリョフ夫人はチェルノマーゾフさんと呼んだのでしょう。え、関係ないだろうって?いや、ラゴージンにチェルノマーゾフ一族誕生の匂いを嗅ぎ付けなくてどうしましょう。

『カラマーゾフの兄弟』という邦題に『の』の字が入ったのは『カラマーゾフ』が単なる姓にとどまらず、いわゆるカラマーゾフ的なものを示す言葉でもあるから、という卓見は江川卓さんでしたっけか。ドストエフスキーは一家を描くことで『カラマーゾフ』を創造したわけですが、それ以前にドストエフスキーにとって『カラマーゾフ』はカラマーゾフだった、そしてそれはラゴージンをチェルノマーズイと呼んだ時に始まっていたのではないでしょうか。すなわち、『チェルノマーズイ』は最初に引用した部分すべてを、喜劇的な出だしの割には暗い(黒い)ものを含む描写を、さらには暗い結末を予感させる言葉として使われているのではないでしょうか。

しかし、だとすると、どう訳すんでしょうねえ?

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2006年7月31日 (月)

ロシア人の名前

ロシアの小説は名前を見ているだけでごちゃごちゃしてわからなくなるという人もいますね。それを避けるためにロジオン・ロマーノヴィチもロジオン・ロマーヌイチもラスコーリニコフとしてしまう訳し方もありますね。しかし作者が使い分けているからにはそれなりに意味があるわけで、知っておけばいくらか役に立つかもしれません。というわけでロシア人の名前の話。と言っても論理的、系統的に話をする能力がないのでどこへ行ってしまうかわかりませんがね。まあ今日のところは問題の提示抜きで。問題ばかりたまってもしょうがないのでね。

最初に、白痴1のところで私はロシア語がよくわかっていないと言ったのは、もちろん本当のことですが、それは私が正直だからではなく、ずるいからで、ずるいといっても狡猾というより卑劣だからで、しかしまあラスコーリニコフ式に言えば、『僕が本当に卑劣漢である』とすればこれはむしろめでたいことであります(おわかりいただけるでしょうか)が、とはいえ私は・・・これはいかん、早くも脱線した・・・いや、ともかく私がずるい態度をとったのは、ロシア人の名前、その呼びかけ方について論じたある非常に優れた評論のことを思い出し、また、それを読んだ当時、ああ、私にはこのような論理の展開、堂々たる態度は無理だなあと思ったのを思い出したからで、そうだ、胸を張れないなら最初に謝っちゃえと考えたからです。

さて、ロシア人の名前。レフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキンとかロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフとか。三つの部分に分かれてますが、最初のレフとかロジオンとかが名前、なんとかヴィチのところが父称、最後の部分が姓。ニコラエヴィチってのはお父さんの名がニコライだったんですね。ところで、カタカナでの表記の問題、つまり発音の問題ですが、これまた私はロシア語を耳にした経験がほとんどないので以前からの思い込みに引きずられている可能性大です。そう言えば、たとえばの話、ボリィース・ニコラーイェエーヴィッチ・ィエーリチンのような表記にお目にかかることもありますが、テレビでゴルバチョフが呼びかけるのを聞いていたら、私の耳にはボリス・ニコラエヴィチと聞こえたので、それでいいと思うんですが。それからワルワーラさんとヴァルヴァーラさんではずいぶん印象が違いますが、これは同じですね。あ、そうそうロシアでは男性の名前と女性の名前では語尾が違います。ラスコーリニコフの妹はアブドーチャ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワ、お母さんはプリヘーリヤ・アレクサンドロヴナ・ラスコーリニコワ。

それから、親しい間の呼びかけには愛称(あるいは卑称)が使われます。罪と罰の中のラスコーリニコフならロージャとかロージカとか。妹はドゥーニャとかドゥーネチカとか(ドーニャではなくてドゥーニャ、DoでなくDuのようです。ドーニャと訳した人は日本の読者が混乱しないように、でしょうね。)日本語でも、・・ちゃん、・・たん、・・っち、・・っぺ、・・坊、・・公、などいろいろ呼び方がありうるように、ロシア人の愛称もいろいろな変化があり、当事者の間柄やそのときの状況によっていろいろなニュアンスを持たせられるようです。

さて、一般的な呼びかけでは、ラスコーリニコフ、とか、ラスコーリニコフさん、とかの場合もありますが、名前と父称を呼ぶのが多いようです。つまり、ロジオン・ロマーノヴィチとかレフ・ニコラエヴィチとかですね。しかしこの・・ヴィチってのはいわゆる正式な名称で、そう堅苦しくする必要のない場合にはロジオン・ロマーヌイチとかレフ・ニコラーイチとか呼ばれたりします。罪と罰の中ではロマーヌイチが55回、ロマーノヴィチが37回出てきます(へへ、これは私が自分で数えたのではなく、Concordances of The Complete Works of F, M. Dostoevskyというサイトを見るとそういうことがわかるようになっているんです。)区別して使われているからにはそれなりの意味があるわけで、それらを逐一吟味すれば大体ニュアンスがわかりますかね。で、その分析をしてみせたのが先ほど私が非常に優れた、と言った評論です。

ああ、その本が今手元にないのが残念だなあ!ぜひとも賛美したいのに。賛美して、賛美して・・・・・そう、『美と崇高』のためでもいいし・・・いやあ全く残念なことに本は手元にないし、内容もほとんど忘れてしまいました。確かT.T先生のドストエフスキー・・・をなんとやらという本で、(いや、きっと先生は私の賛美なぞ受けたくないだろうからあいまいにしておきましょう、わかる人にはわかっちゃうでしょうが文句など来るまいよ)その謳い文句は確か(くどいのでこの後『確か』は省略)、ロシア人のように読み、ロシア人のように笑う、とか。さすがに先生ともなるとロシア語ぺらぺらなんですなあ!さらに反訳と反訳文化(先生は翻訳とはおっしゃらない)にかみつき、反訳が日本文学をだめにし、さらにドストエフスキーに対する誤解をも招いたとおっしゃる。とくに米川正夫先生には恨みでもあるようだ。「罪と罰はあんな陰鬱なもんじゃない、滑稽なところもいっぱいあるんだ、ロシア人はそういうところで笑うんだ、俺はロシア語がわかっちゃうから、笑うんだぞ。」しかし反訳批判はいいけどこの本は誰に売るんだ?ドストエフスキー好きだろ。ほとんどの人はロシア語なんか読めないぞ。いったいどういうし・・・・いや、いや、すばらしいじゃないか、先生は日本文学の闘士だ、本代は軍資金だ、お布施みたいなもんだ、俺は文化のために書いている、下々の者は控えおろう、だ。しかし尻馬にのって「外国文学は原語で読まなきゃだめですねえ」とか言う奴は実に不愉快だな。・・いや、先生は・・関係ない・・ふむ、もとい。で、ロシア人のように読める先生はロジオン・ロマーノヴィチとロマーヌイチの使い分けに着目なさる。かくかくしかじかな場面ではロマーノヴィチであり、別のこういう所では・・・など、など・・であるからして、これこれこういう使い方をするのであって、かような意味を持たせているにちがいない・・・・・まあ、この分析自体は私の注目する所ではない。すごいのはこの先なんだ。勘のいい方は気づいていらっしゃるかもしれないが、先生の議論、少し出発点が不思議じゃないかな。

この本は月刊誌かなんかに発表したものを後で編集したのだろうか。今の議論の後、次の章に断りがあったのである、いわく、読者(ロシア在住経験のある人だったろうか)から指摘があった、-オヴィチと-ウイチをロシア人はかくかくしかじかな区別をするそうだ、しかし私の議論は間違っていたと思わない、云々、云々・・・な、なんと先生はロシア人なら誰でも知ってることをご存知なかったのだ、すごいじゃないか、ああ言っておきながら、こうなってもめげない精神力、すばらしい、これを賛美せずにいられるだろうか。評論を書くとはこういうことなんだ。だってそうだろう、まさか先生、ロシア語のわかる人など誰も読むまい、ドストエフスキーに詳しい人など誰も読むまい、と思ってたわけじゃないだろう?してみると、何たる大胆不敵さ!すごい、すごい、すごい!いや、小泉首相もびっくりだ。いやいや、あんなただの厚かましさとは違う、だってこちらは教養人じゃないか・・・ふう、少し興奮しすぎた。

この本に書いてあったことでもう一つ覚えているのは悪霊のキリーロフのこと。キリーロフ、名はアレクセイ、父称はニールイチ。T氏はおっしゃる、ニールなどという名は人名辞典に載っておらん、従って、キリーロフは『存在しない』父親から生まれた、紙でできた人間である、と。ははあ、さようでございますか、そういうふうに考えると実に味わい深いですなあ。ところで、一つ教えていただけませんかね:罪と罰、ラスコーリニコフが自首するために警察署へ行く。ラスコーリニコフが話を切り出しそびれている。警部、イリヤ・ペトローヴィチが今朝自殺した男の名を隣室の男に聞く、「ニール・パーブルイチ、ニール・パーブルイチ!・・・」「スヴィドリガイロフです。」--さて、このニール・パーブルイチはやはり『存在しない』男ですか?確かに隣室にいて顔は見せないが。『存在しない』男が、今朝死んだ男、ラスコーリニコフがその『幻』を見たばかりの男の名を言う。何かしゃれが利きすぎてませんか。・・・ついでに一言、この『幻』をキリストの幻だなんてとんちんかんなことを言う翻訳家がいるから、文句を言われるんだ、翻訳家よしっかりろ!

思ったとおり話はめちゃくちゃになってしまいました。ロシア人の名前の話、少しはお役に立つだろうか?

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2006年7月23日 (日)

白痴1

А до женского пола вы, князь, охотник большой? Сказывайте раньше!

これはラゴージンのセリフなのでしょうか?

まず、最初にお断りしておきます。

一、私はロシア語がよくわかっていません。

二、手元にドストエフスキーに関する評論、資料がありません。

従ってロシア語が堪能な方、ドストエフスキーに詳しい方にとっては自明なことがわからず、見当違いな疑問を持つかもしれません。そういう場合は笑ってやってください。

さて、今、白痴を読み始めたところです。冒頭のロシア語の文は第一部の一の終わりの部分にあります。そこでロシア語がわからない方のための予備知識:ロシア語の二人称の代名詞にはтыとвыがあり、тыはくだけた呼び方、выは複数もしくは丁寧な表現。この場面に登場する人物はムイシュキン公爵、ラゴージン、レーベジェフ。車中の三人が駅に着いて別れるまで会話を交わす。公爵は終始выを使う。レーベジェフは公爵に対してはвы、ラゴージンに対してはいろいろ。ラゴージンはレーベジェフに対しては終始ты、公爵に対しては最初のうちはвы、その後は自分のことばかり話し、駅に着いて自分の所に来るように誘うセリフからтыを使う。で、ここからが問題。

・・・俺んとこへ来いよ、公爵。俺たちはお前のそのゲートルを脱がしてよ、最高のテンの毛皮のコートを着せてやる。燕尾服も最高のを仕立ててやるし、チョッキは白でも何でも好きなのを、ポケットにはいっぱいに金を詰めてやる。それで・・・ナスターシャ・フィリッポブナんとこへ出かけようぜ!来るかい、来ないかい?」(ラゴージン)

「お聞きなさい、レフ・ニコラエヴィチ公爵・・・中略」(レーベジェフ)「・・逃がしちゃなりませんぞ!・・」

(公爵)「喜んで行きます・・中略・・お金だって今僕にはほとんど一コペイカもないんです。」

「金はあるさ、夕方にはあるさ、だから来な!」(ラゴージン)

「あります、あります」と役人(レーベジェフ)は引き取った。「夕方も日の入り前にはありまさあ!」

(冒頭の文:)「ところで、女性はどうです、公爵、相当お好きなほうですかい?あらかじめおっしゃいまし!」

「い、いいえ、僕は!僕はなにしろ・・・あなた方はご存じないかもしれませんが、僕はなにしろ生まれつき病気でまったく女性を知りさえしないんです。」

「ふうん、そんなら、」ラゴージンは声を上げた、「まったくお前はよ、公爵、聖人ばかじゃないか、お前のようなのを神様は愛するんだ!」

「こういう方を神様はお愛しなさる」と役人は引き取った。

「だがおめえは俺についてきな、一列」とラゴージンがレーベジェフに言い、そろって客車を出た。・・・・・

長々と引用してしまいましたがおわかりいただけるでしょうか。冒頭の文はвыが使われています。前後のラゴージンは公爵に対してтыを使っています。で、私はこれをレーベジェフのセリフとして上のように考えましたが、ラゴージンのものとも考える人もいます。ラゴージンのセリフとする根拠は:

1 セリフの順番、レーベジェフのセリフ「・・・ありまさあ!」に続き、改行してこのセリフになる。

2 ラゴージンの嫉妬深い性格をあらかじめ印象付けるものになる。

3 レーベジェフがいきなり女のことを訊くのは唐突である。

しかし、

1 「・・・ありまさあ!」はラゴージンに調子を合わせたもので、一呼吸置いて公爵に話しかけるので改行した。

2 一文無しでどこか間の抜けた公爵をラゴージンは保護の対象としてみており、ライバルになるとはまったく思っていない。

3 レーベジェフはいろんなことに気のつくほうで狂言回しとしてもふさわしい。

ねえ、ラゴージンですか、レーベジェフですか?

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