2008年3月16日 (日)

亀山訳を鑑賞する(12)

我ながら、のろまですぅ。一行一行原文と訳文をつき合わせて、逸心腐乱に読んでます。しかし、こういう読み方では大事な事は理解できないかも。しかし、何が大事かなんて読者の勝手だ罠。好きなようにやらしてもらいましょ。その点、皆さんが冷ややかに見守っていてくださるので助かる。しかし、あまりでたらめを言ってたら誰か注意してくれないと・・・しかし、ほんとうに好きなようにやってんのかねえ。ばかばかしいってことない?・・・ってひとに聞いてもだめ。
そういうわけで、あいもかわらず、亀山訳・カラマーゾフの兄弟2より。

188ページ:グリゴーリーさんは、このぼくが自分の出生に逆らっているとか非難しますがね。『おまえはあれの胎を裂いただろうに』と、こうですよ。胎なら胎でけっこう、ぼくとしちゃこの世にまるきり生まれつかずにすむんでしたら、まだ胎内にいるうちに自殺したかったですよ。

Григорий Васильевич попрекает, что я против рождества бунтую: «Ты, дескать, ей ложесна разверз». Оно пусть ложесна, но я бы дозволил убить себя еще во чреве с тем, чтобы лишь на свет не происходить вовсе-с.

なんとなく雰囲気が伝わるからそれでいいんでしょうね。前後を読むと、スメルジャコフは(あ、これはスメルジャコフが隣のうちのマリアさんに話してるところです)自分の生まれが気に入らない、他人が自分のことをあれこれ言うのが気に入らないんだな。それに対するに、グリゴーリーさんからすると、胎を裂いて出てきたのに、それに逆らいおってってことかな・・・・・しかし、よく見るとそれほど単純じゃない。「出生に逆らっている」なんて、なんだか難しげなことを言ってますよ。身分をわきまえろってこと?しかも、非難している、と《おまえ・・・》の間、原文はコロンだ。なんでしょうねえ。よくわかりませーん。

自分の出生に逆らっている:против рождества бунтуюのрождества、辞書を見たら「クリスマス」って書いてある。え?ああ、nativityってのもあったけど・・・бунтуюは反逆するとか反乱を起こす。・・・ふーん。わかりませーん。なんかわからんけど注意しといたほうがいいかも。たとえば、カッコの外ではあってもグリゴーリーの表現なのか。なにしろ、リザヴェータはそのからだから見てとても越せそうもない塀から降りて生んだことだし・・・

バーラがさいたあバーラがさいたあ・・・ただの気分転換ですて。

「胎を裂いた」との非難といえば、わてなどは、お産でリザヴェータが死んでしまったことを連想するけど。そこで、ложесна разверзは、というと・・・разверзатьは、がばっと開けるって意味らしいけど、ложеснаがなんだかわかりまへん。例によってテキストの註を見ると、出エジプト記13章2節、13章12節、34章19節などを見よ、と。

13章2節:освяти Мне каждого первенца, разверзающего всякие ложесна между сынами Израилевыми, от человека до скота, [потому что] Мои они.

すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである。

34章19節:Все, разверзающее ложесна, Мне, как и весь скот твой мужеского пола, разверзающий ложесна, из волов и овец;

初めに胎を開くものはすべて、わたしのものである。あなたの家畜である牛や羊の初子が雄であるならば、すべて別にしなければならない

ま、深い意味はともかく、聖書的にはложесна разверзは、つまり「初めに胎を開いた」ってことだね。初子ってことだ。それが非難の根拠となると、様相はかなり違うのではないでせうか。

しかし、グリゴーリーさん、そんなことを考えているかな。註には聖書をよく読んでる証拠だなんて書いてあるけど。単に大仰な言葉を使っただけ?パーウェルさんのほうはそんな意味にとってなさそうだな。では、読者はどうすべきか?註が付いてるくらいだから、なんか変なこと言ってるなあ、でいいんでしょうね。ましてや日本人は。では、訳者は?「裂いた」とまで言う必要があるかどうか、ですが・・・生まれに逆らうな、という意味なら、事実、あの女から生まれた、ということを言えばいいわけで・・・いやいや、出生、誕生に逆らっている、だからなあ。生まれたことに反抗する、なら、おまえ胎を開いた、かなあ。

ところで、「まだ胎内にいるうちに自殺したかった」ですが、я бы дозволил убить себя。自分を殺すのを許したかった?誰に許すって自分だよね。ってことは「いっそ自殺したかった」かな?

こないだ、ジェロさんが「いっそ」はafter allだっておっしゃってたけど、そんなもんかね。

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2008年3月12日 (水)

亀山訳を鑑賞する(11)

どこやら(あそこのことはいま触れたくない)にも書いてあったが、大島一矩さんの「『カラマーゾフの兄弟』の翻訳をめぐって」という本の一節がこちらのブログにも紹介されている。亀山さんの訳では115ページにあたる部分。第2編の2のフョードルさんのセリフ。

でも、わたしはほんとうに嘘をつきまくってきたんです。これまでずっと、毎日、毎時間ごとに。まさしく、嘘は嘘の父なりですねえ。(中略)わたしはこうやって、いつも聖書の文句をごっちゃに(略)

この、嘘は嘘の父なり、これまで十人の訳者さんが「偽りは偽りの父」、もしくは「嘘は嘘の父」と訳しているが、原文ではложь есмь и отец лжи!フョードルさんがおっしゃってるように聖書(ヨハネによる福音書8章44節)中のон лжец и отец лжи:自分が偽り者であり、その父だからである。 (新共同訳)の引用。で、訳者さんたちはесмьをесть取り違えているのではないか、ここではя ложь и отец лжиの意味である、というのが大島氏の結論とか。

まあしかし、十人が十人、そういう間違いをする可能性は178.17%ないだろう。есмьはほかの箇所にも出てくるようだし(と言って調べていないのがわての悪いところだが)。ここはあれでしょ、皆さん、わてのようなロシア語もよめない、聖書も知らないもののためには原文にこだわることはない、と簡明な訳を選ばれたんでしょう。

とにかく、大島さんのご本はなかなかの労作のようですよ。わても真剣にやるならそういう本を読んだり、せめて新潮の原訳ぐらい買わないといけないかねえ。

前回からちょっと間が開いたのでついに手に負えなくて投げ出したと思ったでしょ。さにあらず、しつこくやってんだ。2巻の140ページぐらいまできたんだけど、どうもおもしろいネタがなくて。ここに書いてもしょうがないかなあってんで、直接、亀山先生にお伝えしましたわ。で、亀山先生に言うほどじゃないけど、気になるところもあって・・・たとえば、

На одной из них, на левой, была воздвигнута горка из четырех ситцевых подушек, одна другой меньше

亀山訳(2の106ページ)そのうちの左側のベッドには、更紗のカバーがついた大小四つの枕が山のように積み上げられていた。

どうも原文の様子では、大きさの順に、まっすぐに立った、つまりきちんとしているよう。訳文でそれを感じるかどうかなんだけど、なにせ、ワルワーラさんの性格に関わることなんで・・・ね、おもしろくないでしょ。

ところで、話変わるけど、ワルワーラさん、ワルワーラ・ニコラエヴナってんだね。お父さん、つまりスネギリョフがニコライさんだからだ。亀山さんは簡明化しちゃってるから、この際関係ないけど、なんか、ロジオン・ロマーヌイチとロマーノヴィチとかレフ・ニコラエヴィチとニコラーイチとかの違いを気にする人がいるみたいなのでね、ちょっと参考になるかもしれないので、亀山訳の呼称だけ変えて121ページのうしろほうから引用してみましょう。

「いいかげん、おやめなさいよ!そんなピエロみたいなまねや、ばかげた芸当してみせるの。どうせなんの役にも立ちゃしないんだから!・・・・・」すっかりいきり立ったワルワーラ・ニコラエヴナがあいかわらず部屋の隅から叫び、どんと床を踏み鳴らした。
「あなたがかっとなさったのは、こんどばかりはじつに正しいふるまいですよ、ワルワーラ・ニコラーヴナ、で、わたくしも(中略)あそこにすわっておるあの娘っこ、あれは、娘のニーナ・ニコラエヴナでございまして。先ほど紹介するのを忘れておりました・・・・・

ちょっと感じがわかるでしょ。ま、徐々にね。ところで、ワルワーラさんの言葉の最後のセンテンス、『どうせなんの役にも立ちゃしないんだから』ですがね、まるで場合によっては役に立つよう。ここは、『いいかげんおやめなさいよ、そんなピエロみたいなまねや、なんの役にも立たないばかな芸当をしてみせるのは!』じゃないかなあ。原文は↓

Да полноте вы, наконец, паясничать, ваши выверты глупые показывать, которые ни к чему никогда не ведут!

亀山訳を調べていてたったひとつ気づいたことがある。「ほんとうに」という言葉がお好きなようだ。そのうちもっと重要なことに気づくのだろうか・・・とほほ。

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2008年3月 4日 (火)

亀山訳を鑑賞する(10)

ラジオでカラマーゾフの兄弟の話、してた。特に若い女性に売れてんだって。今まで大審問官で挫折する人が多かったけど、亀山訳はわかりやすくなってるんだって。
また増刷らしいよ。とにかく、世間様は高評価だ。いいかげん、いいところは認めないとね。しかし、それはそれ、これはこれ。

評判では亀山先生、文章はうまいらしい。それはもう、米川さん、原さん、江川さん・・・だってそうだろう。それでも妙な訳文が出現するのはなぜか。ご自分の言葉で語ってないからだ。そりゃしょうがない。人の言葉を伝えてるんだから。おまけに外国語は文章の構造は違うし、単語の意味も重ならないし。本当は完全に理解した上で、いちから訳文を構成するほうがいいんだろうけど。多義的な文もあるし。ましてや句読点の位置まで動かすなって人もいるぐらいだから、難しいなあ。
米川さんの翻訳などを原文と比べて感じたことは、ずいぶん原文に忠実だな、ってこと(誤訳がないって意味ではありません)。訳しかたがね、しろうとくさいまでにね。ただし、ちょいと難しいところだとちょいと余計な説明は入りがちだけどね。うんと難しいところだとどこにも書いてない説明を始めたりして。(こういうことを証拠もあげずに言うのは素人としては恥ずかしいことだが、いつかチャンスがあったら)。江川さんの地下室の手記も原文に忠実だなあと思った。ただし、やっぱり多少説明があるね。皆さん、翻訳は原文よりわかりやすくなくちゃいけないとでも思ってるのかな。あーあ、なんかしょうもない話してるな。ま、いいか。
気を取り直して。そういう意味で言うと亀山さんの訳文はのびのびしてるかな(まだ2巻の100ページほど見ただけだけど)。この訳語はどうだろうってところがあったりとか、会話に調子をつけるために余計な修飾語がついてたりとかするけど、まあ、それは趣味の問題として、確かにノリのいい文を目指しているのはわかる。それが読みやすさとスピード感なのかな。簡単なようだが、「忠実」のくびきを脱するのは結構勇気がいるし、上滑りは避けなければいけないし、たぶん忠実に訳すより楽じゃない。以下のようなところ、皆さんの評価はどうだろうか。(カラマーゾフの兄弟第4編の5より)

Я не знаю, как это мотивировать, но я вижу, что вы искренни в высшей степени, а потому вы и правы...

亀山訳(2の83ページ):このことをどう説明したらよいのか、じつはぼくもよくわからないんですよ。でも、あなたがどこまでも真剣なのはわかる、だから、正しいんです・・・」

米川訳:僕はなんと解釈していいかわかりませんが、あなたはこの上なく真摯である、それ故にまた真実である、ということはよくわかっています。

逐語的に訳すなら、米川訳。しかし、誰が「ということはよくわかってます」なんて言葉で決めたい?安全だが誰でもできる訳だ。問題は伝えるべきことは何か、会話が活きているか、だ。亀山さんがそれを考えているのはわかるじゃないか。

ではありますが。ついでに。そのすぐ後。

— не выдержала вдруг госпожа Хохлакова, очевидно не желавшая вмешиваться, но не удержавшаяся и вдруг сказавшая очень верную мысль.

亀山訳:堪りかねてホフラコーワ夫人が口をはさんだ。横から邪魔に入るつもりはなかったらしいが、彼女がついたえきれず口にしたその考えは、しごくもっともだった。

米川訳:見受けたところ、さし出がましいことをいうまいと決心していたらしいホフラコーワ夫人も、こらえきれなくなって、突然しごく正鵠を穿った意見を述べた。

この場合はどやろ。ホフラコーワ夫人は脇役として、みんなのかわりにあたりまえ風の意見を言ってんだから、「考えがしごくもっともだった」なんて観客に教えを垂れるのは失礼だあ。

えーえ、強引gマイウェイもいいけど、我ながらどこに話をもってこうとしてるんだか、構成力なし。ワダイヲカエマショウっかねえ。アリョーシャが「ドミートリーをここに呼んで・・・・・ドミートリーにカテリーナの手をとらせ、それからイワンの手をとらせ、二人の手をひとつに結ばせるんです。なぜって・・・」という場面。

Потому что вы мучаете Ивана, потому только, что его любите... а мучите потому, что Дмитрия надрывом любите... внеправду любите... потому что уверили себя так...

90ページ:なぜって、あなたがイワンを苦しめているからです。ひたすら彼を愛しているからです・・・・・で、兄を苦しめているのは、一種の錯乱でドミートリーを愛しているからです・・・・・まちがって愛しているからです・・・・・なぜって、自分でそう信じ込ませているからなんです・・・・・

原文が妙ちきりんなのかもね。でも、「で、兄を苦しめているのは」ってのは気がきかないなあ。それはそれとして、Потому что の連続ですが、お互いの関係はどうなってるんでしょうか。亀山訳:最初の二つは並列で、三番目は独立、最後だけ、前の文に含まれる?しかし、а мучите はどこの文に含まれる?любитеと並んでると考えるほうが普通じゃないのかなあ。例えば・・・・・

だって、あなたはイワンを苦しめているんですもの。ただもう、兄を愛しているのに・・・・・苦しめているんですもの。一種の錯乱でドミートリーを愛しているから・・・・・間違って愛しているから・・・・・だって、自分でそう信じ込ませているんですもの・・・・・

たまには誰か賛同してくれないかしら。いや、怪しげなことばかり言う自分が悪い。てへ。ちなみに米川訳。

米川訳:なぜって、あなたはイワン兄さんを愛していらっしゃるために、かえって愛する兄さんを苦しめてらっしゃるからです・・・・・ところで、なぜ苦しめるかというと、それは大きい兄さんに対するあなたの愛が、発作的なものだからです・・・・・偽りの愛だからです・・・・・なぜそうなったかというと、あなたが無理に自分で自分を説き伏せて・・・・・

ドミートリーへの愛が発作的なものだから、偽りの愛だからイワンを苦しめる--理由になってませーん。(いや、そういう複雑な理由もありうるけどね、ここは違うでしょ。)

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2008年2月29日 (金)

亀山訳を鑑賞する(9)

あーあ、学校時代にこのくらい勉強していたら、わての人生も違っていたかなあ。ま、違ったところでどうもないけど。へへ、まかり間違えてロシア文学者になってたりして。ゾゾッ!え、なれるわけないだろって?そうだな。まともな人間がこんなところで悪態をついているわけがない。それにこうやって気楽に書けるのがいちばんだ。しかし、人間、怒るとろくなことないねえ。お、珍しく反省かって?フフ、わてのはねえ、ポーズ。本気で怒りを誰かに向けるなんて・・・地下室の人間を名乗ってるんだから、わかるでしょ。もっとも、某氏の地下室の手記はそうじゃないらしいけど。あー、クソ!そっちもやりたいんだった。自分の地下室の手記の修正もまだだった。えーい、黄色い顔も途中だった。そうそう、某所にある、昔の翻訳はすごいでぇ。「二人の男と関係した人妻の品行の善悪をきめるってえことは、恐ろしいことです。しかもその男と私はまだ会ったことがないんです」(そのこころは:初対面の男性二人と自分の妻の行いについて話し合うのは恐ろしいことです)。ヘ、ひとを呪わば穴一つ 堕ちていくのは我ばかり、あーコリャコリャか。

シャーロック・ホームズっとワトソン博士 霧のロンドーン靴ぅ音たあかぁく

ちょっと自信がないんだけど。って、いつもそうだけど。亀山訳カラマーゾフの兄弟2。

66ページ:でも、あなたはもうこのわたしのこと、女の子って、かわいい女の子ってふうにはお考えになれませんよね。あんなばかな冗談を書いた手紙、お読みになったんですから!

Но вы не можете же меня считать за девочку, за маленькую-маленькую девочку, после моего письма с такою глупою шуткой!

リーザが恐れているのは笑われること、ばかにされること。かわいい女の子って思ってくれなくちゃいやってのは、どうもねえ。そこで、маленькийだけどね、小さい。девочкаは子どもというか成熟前の女。だからね、あんなばかな冗談を見てわたしのこと、子どもと思っちゃいや、というほうが「この人もちっちゃい子どもよね」とか大人ぶったことを言おうとしている少女の気分に合うと思うんだがねえ。え、意味が逆だ?だからさ、「もう」とか「よね」とかいらんのよ。「でもあなたはわたしのことをナニナニと思うことはできません」

well わったしはおっちゃめぇなハイティーィン・・・あれ、14歳か。ここで間違えっとどやされっからなあ。

69 -- 場所もわきまえずそんな・・・それに、この人、恐水病にかかっているかもしれないんですよ。」
「あら、ママったら!恐水病の子どもって、ほんとうにいるの?」

совсем это тебе некстати... тогда как этот мальчик может быть бешеный

よく意図はわからんけど、いきなり、この人(アリョーシャ)が恐水病かもしれない、ってのは少し乱暴では。「その子ども」でいいんじゃない。あと、場所もわきまえずそんな(って結婚話のことですが)より、こんな時におまえ、のが、しっくり、ってのは感想。

70ページ:それに、カテリーナさんにはできるだけ早くお会いしたいんです。でもどっちにしても、今日はできるだけ早く修道院に戻るつもりなんです。

А мне очень хотелось бы видеть поскорее Катерину Ивановну, потому что я во всяком случае очень хочу как можно скорей воротиться сегодня в монастырь

原文ではねえ、後半の文が前半の理由になってる。早く修道院に帰りたいから、早くカテリーナさんに会いたい。理由もなくカテリーナさん優先、しかも「どっちにしても」早く戻る。リーザ嬢、よけいにカチンとくる。という意図の翻訳かな。

64ページ:いますぐぜんぶ持ってくるわね、リーズ、でも大声を出すのはやめてね、あんまり心配しないでちょうだい。アレクセイさんをごらんなさい、こうして立派に、ご不幸に耐えてらっしゃるでしょう。

Сейчас принесу всё, Lise, только не кричи и не беспокойся.

わてはこの「心配しないで」はすぐに持ってくるから心配しないでの意味かと思ったがねえ。だから「あんまり」はいらないかと。人の怪我をあんまり心配しないでというのも。

52ページ:少年が着ていたのは、かなりくたびれた古いコートで、そこから不恰好にからだがはみ出ていた。袖口からはむきだしの手が突き出していた。

Одет он был в довольно ветхий старенький пальтишко, из которого уродливо вырос

つまらんことですんません。はみ出るってのは出ていてあたりまえの部分は言わない。手足がはみ出るってのは寝具から、とか。というわけで、はみ出ているっつうとお太りになってるみたいで。次の行に突き出すがあるゆえの苦心の訳とは思いますが。つんつるてんでいいんじゃないすか。元の意味はからだが大きくなってみっともなくなった、かな。

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2008年2月26日 (火)

亀山訳を鑑賞する(8)

ある日、多摩川べりで。同好会の人たちがキャッチボールをしている。と。ひとりの紳士が現れ、わたしとキャッチボールがしたければわたしのルールに従いなさい。それでなければ相手はしてあげません。コ、困った人だなあ。え、プロ野球の選手・・・プロだってさ。え、ほんと?嘘でしょ、ちゃんと投げ返せないじゃない。届かなかったり。あっち行ったり。ありゃ、後ろにそらして知らん振りだ。どうなってんの?

仲間にも入れず、土手に腰を下ろして眺めながら唸っている僕のほうがよほど惨めだというご意見もあろうが、僕の気が塞ぐのはそのせいではない。

このぉ駅は寂しくて おとぉずれる人もなぁい

それからあれ。あの目次。「地道」な「点検」ではなく、見るべきはここだ、ここ、おれさまだあみたいな目次。あれだけで気がめいる。

気が塞いで更新が遅れた。おまえに言えた義理か、それにおまえなんかに関係ないだろう?ってか。なるほど、僕が善意の人間でないのはすぐにばれてしまうどころか、自分でも気がついているくらいだ。第一、僕の書くことはでたらめで無責任かもしれない。しかし、責任を感じながらの無責任でもあるのだ・・・いや、気が塞ぐばかりだ。

うーい、とにかく、前に、専門家は何をしてるんだ!と叫んだ時、こんな事態は予想もしてなかった。いや、いや、こんなもんじゃないか、との予感はあったというべきか。諸君、専門家に期待していたんじゃいかんよ・・・しかし、僕も疲れてきましたよ。

つまらないことをほじくっても、とか、こんなところ、修正してもらえるはずがない、とか、少しでも理のある意図的な訳に異を唱えるのはどうか、とか、いろいろ考えてしまいます。詰まらんことを言ってる、と思った方は我慢を、間違っていると思った方は指摘を・・・・・

亀山訳カラマーゾフの兄弟2より

45ページ:《お父さんは苛立ち、憎しみに燃えている。何を思い立ったか、そこにこだわっている。・・・

«Отец раздражен и зол, он выдумал что-то и стал на том;

これより前の文にそこтомに相当するものはないので、これはчто-тоをさしている。僕の感覚が変なのかと思って、ためしに、『何を思い立ったか』で検索してみると、やはり一般的な使い方は、『何を思い立ったか、ブログで人の翻訳にけちをつけ始めた』てな感じでござった。つまり、『何を思い立ったか』以下の行動の意図がよくわからない、ってなことかな。亀山訳、感じは出てるけど、「そこはどこ、あなたはだれ」状態じゃござんせんか。『何かを思い立ち』で我慢してもらったほうがね。

42ページ:なに、おれがやつに何か遺産でもくれてやるだと? いや、おれは遺書なんか残さんし、そこんとこはおまえたちにもわかってもらうぞ。

Да я и завещания-то не оставлю, было бы это вам известно.

素朴な疑問です。遺書を残さなかったら、やつに遺産をくれてやることになりませんか?「遺書なんか」で遺産まで含むと解釈すべきなのか、あるいは「そんな遺書なんか残さんし」としてもいいのか・・・

追記:ごめんなさい。気合入れなきゃだめね。ぼろぼろだぜこりゃ。「そんな遺書」なんてほかの遺書を残しそう、という議論を踏まえないとね。しかし、やはり、イワンにも、ミーチャにも、一銭も遺したくなさそうだし、「そこんとこおまえたちにも(アリョーシャを含めて)わかってもらうぞ」だからねえ。その上、この前の部分の亀山訳、「イワンなんて、まるきり息子と認めちゃおらん」を見ても、遺産の対象じゃない、みたいな感じが強いし。ところで、その部分ですが。

41ページ:Да я Ивана не признаю совсем. Не знаю я его совсем. Откуда такой появился? Не наша совсем душа.

亀山訳:そうさ、おれはイワンなんて、まるきり息子と認めちゃおらんやつのことがまるきりわからない。いったいどこの馬の骨だ。血筋がぜんぜんちがうぞ。

ここはなかなか思い切った訳で一本筋が通っているのですが、青のところだけやや異質で、しかも、少し後を引くような意味。(米川訳は「それに、わしはイワンという奴がさっぱりわからん。」--緑字、あるいは青字の部分しかないテキスト?で、ぜんぜん参考にならん)。あのあたりからは文句が来そうだが、もう一段踏み込んで、おれはやつなんか全然知らん、ってやっつけちゃいたいなあ。

40ページ: でもな、今日やつが、かよわい老人を半殺しの目に合わせたってことを聞きつけたら、きっとやつを振り切って、おれんところに見舞いにくる。

こんなこと問題にすべきでないとは思ったのだけど、やっぱり・・・これだけ見ると、「やつが今日ナニナニした」と取れる。最低限、「でもな、今日、やつがかよわい・・・」で不都合があるのかな。

44ページ:いつか近いうちに来るんだぞ、魚スープを食べにな、おれがひとつこしらえてやるから、

приходи когда-нибудь, поскорей, и на уху, уху сварю,

確かに、一人称の動詞ですが、お父さん、本当におん自らこしらえるんでしょうか・・・

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2008年2月21日 (木)

亀山訳を鑑賞する(7)

またぎき、怪しげな記憶に基づく小話

むかし、知人が近所の本屋さんに「悪霊」を注文した。来ない。本屋さん「アプレオ」だと思っていた。世の中、そんなもんよ。
最近、別の知人がそのまた知人に「鰐」を買うてきてくれと頼んだ。紙に書いて。ある書店へ。「あれ、なかったわよ。絶版」「え、そんな」再度挑戦。あったあった。知人の知人も最初の店員さんも読めなかったらしい。そうだ・・・

くーもーりぃ がらすのむこうはかぜのまち・・・

I kove youを「あなたを愛している」と訳した学生さんに、漱石先生、日本語では「月が綺麗ですね」と言うんだ、と。

金田一秀穂さんも言っていた。「星の美しい夜ですね」「ええ、とっても」「寒くないですか?」「うんん」・・・という会話は「好きです」「あたしも」「好きです」「あたしも」・・・という意味だと。

したちれから いいところ・・・・・そのときなの もしもしキミたち

せっかくよろしくやってんのにさ、どこから現れたか、よぉよぉ、こんな街なかで夜空が綺麗なわけないでしょ、あんたらの会話は誤訳よ誤訳・・・・・アタシのやってることって、そういうこと?バカだねえ。

アタシが、「あなたを愛してる」式の近視眼的なことを言ってるとしても、どうか皆さんは高い見地からネ、真実を見極めてくださいな。

ギッチョンチョン、ギッチョンチョン、うりやなすびの・・・・・

シラーの「群盗」(ロシア語ではРазбойники)はお読みになった?アタシはまだ。悪党フランツが兄カールを悪者にしたてて父をだます。目的は兄を廃嫡させた後、父を殺し、兄の恋人も奪う。(兄は盗賊団-群盗の首領に)・・・・・フョードルは第2編6でイワンをカール・モールわたしの血と肉を分けた息子、ドミートリーをフランツ・モールと言っているが、もちろん、だまされるような単純なおっさんじゃない。そんなふうに言った意図は?ってのは置いとくにしても・・・第4編2(下記)ではミーチャ(ここではミーチカだね)のことを強盗野郎と呼んどる・・・え、おもしろくない?あ、そ。まあ、よかよか。

この「群盗」の第一幕の終わりの方、だまされて悲しいお父さんが退場したあと、フランツの独白がある。・・・彼はおまえの父親だ!彼が命を与え、おまえは彼の血と肉なのだ--従って、あの人がおれにとって神聖だと。そんな論法があるか!なぜおれを作ったのか知りたいね。愛からではない。おれを作っている間、あの時、おれのことを思っていたか?まだ存在しないものに対する愛情などおれは認めない。では父であることの神聖はどこにある?獣欲を満たす行為のうちにか?

--ちゃんと訳せればいいんだけど、ドイツ語はわからんし、英訳もよくわからんし、まあ、しゃあない、つまみ食いね。なぜこんなことを書いてるかというと、下記テキストに註がついてて「群盗」を見ろと。でね、きっとотцов да матерей за предрассудок считать(直訳:父や母を偏見とみなす)のことだろう、と。つまり、血のつながりなんて屁でもない、父親だから、母親だからって神聖視することが迷信である、ってことかな、とね。迷信は見る側に・・・

Слушай, я разбойника Митьку хотел сегодня было засадить, да и теперь еще не знаю, как решу. Конечно, в теперешнее модное время принято отцов да матерей за предрассудок считать, но ведь по законам-то, кажется, и в наше время не позволено стариков отцов за волосы таскать, да по роже каблуками на полу бить, в их собственном доме, ・・・

亀山訳2巻39ページ:いいか、おれは今日、強盗野郎のミーチャを牢屋にぶちこんでやる気でいたんだ。いまのところもまだ、どっちに決めるかわからんが、むろん、今のはやりじゃ、親父やおふくろなんか迷信のかたまりぐらいに軽く見るのがふつうだが、いくら今のご時世といっても、年寄りの父親の髪をつかんでひきまわしたり、親の家で人の顔をかかとで踏みにじったりすることが、法律で認められてるわけでもないだろ。

ドストエーフスキイの会、また出ましたね。《点検》ですって。点検者の森井友人さんは公平な方のようだ。よかった。しかし、また木下先生が・・・どうしてわからないんだろう、逆効果だってことが。最初に検証を載せたときに危惧の念を表明された運営委員の方は何も言えないのか。・・・なんかいやだなあ。って人のこたぁ言えないやね。

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2008年2月18日 (月)

亀山訳を鑑賞する(6)

ソラニャキョオォモあっどばぁるん サゾカシカイシャデインマゴロハ・・・・・亀山郁夫訳カラマーゾフの兄弟2 29ページ:

神父の言葉は、むろんどことなくばかげてみえたが、その言葉になにが含まれているかはだれにもわからないし、神がかりと呼ばれる人は総じて、それをうわまわる奇怪な言動を示すものなのだ。

「それ」。ヘンデショ。え、変って思うほうが変?あらそ。ああ、ここだけ抜き出してもわからないか。そりゃ、間違いじゃないけど。デモネ、この代名詞は神父の言葉をさすものであってほしい・・だからさ、「神父の言葉」って言葉じゃなくって神父の言葉そのものを・・・だってそれをどっかへ置いてきちゃったみたいで・・・グフ、我ながら説明能力なし。

オコルノハ オコルノォハァ アッタリマエデショウ

2 父の家で

や、やっと2に入った。つまらんことに拘る自分が悪いったってねえ、これがスタイルだから。つまらんかどうか拘ってみないとわからんでねえ。ま、たまには当たりが入ってるかもしれないんで・・・勘弁してちょうだい。

34ページ:老人は(中略)、退屈しのぎに、といってたいした注意もはらわず、何枚かの領収書にぱらぱらと目をとおしていた。(中略)もっとも、この領収書にもフョードルはうわの空だった

Старик (中略) и просматривал для развлечения, без большого, однако, внимания, какие-то счеты.(中略)Но не счеты его занимали.

グルーシェニカのことで頭がいっぱーい。フョードルさんまるっきりうわの空あ。感じ出てるぅ。名訳ぅ!だろうかね。かもしれないが、本当にうわの空なのかどうか、ねえ。

「退屈しのぎに」は、для развлеченияで気晴らし、あるいは楽しんでいる気分。さて、そこで、またまたつまらんこってすが、領収書なんて家計簿や申告に必要なだけで、見たってクソおもろしくもないじゃろ。この、金をためることが楽しみなおっさん、領収書で気晴らしになるかいな。ま、不浄なものに執着のない先生方にはおわかりにならないかもしれまへんが。何か儲けに関わる書類だと思いまっせ。酒場のあがりとか、貸し金とかの。

本題ホンダイ。не счеты его занимали.:領収書が彼を占領していた(こんな言い方があるのかしらんけどね)を否定して、「うわの空」。うまい、と言いたいところだがね、てんからたいした注意を払ってないんだかんね。普通の使い方からするとこのзаниматьはразвлекатьの意で、結局、おもしろくなかった、気晴らしにならんかった、でっしゃろ。フョードルさん、うわの空じゃなくてね、おもしろくないってんでプリプリ、ピリピリしてるんでしょ。・・・

34ページ:「お父さんは?」「起きてコーヒーを召し上がっていらっしゃいます」妙にそっけない口ぶりでマルファは答えた。
35ページ:「そこのコーヒー、冷めてるぞ」と彼はとげとげしい口調で叫んだ。「別にすすめんよ。なあ、おまえ、おれは今日、精進用の魚スープだけですましてるんで、人を食事に呼ぶどころじゃない・・・

ほら、お父さん、機嫌悪いから、マルファまで。なんだこのコーヒー、なんて怒ったかも。へ、余計なお世話ざんした。しかし、起きてコーヒー、でしょ。まだ「すまして」ないかも。сегодня на одной постной ухе сижу 今日は(具合が悪いので)おとなしく精進用のスープだけですますんだから・・・

36ページ:ミーチャから力ずくでも婚約者をうばいとる気だ。

изо всех сил:力ずくでも(別のところでは「必死に」と訳してらっしゃる)。いや、悪いって言うんじゃなくて、議論のあるところかな、と。イワンはどういう人物か、という意味で。

36ページ:ほんとうに兄さんが自分の口でそう言ったんですか?

お父さん、まだイワンが自分で言ったって言ってないじゃないですかあ?変ですよぉ。ねえ?

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2008年2月15日 (金)

亀山訳を鑑賞する(5)

あのう、あれかね、ひょいとご覧になる方のために時々ことわらないといけんかね。これはね、どシロウトのでたらめな感想だからね。わっちはロシア文学者でもドストエフスキー研究者でも翻訳家でもこんにゃく屋でも熊さんでもないからね。見りゃわかるってか。ならいいけど、ナントカ憎しで目が曇ってるような人がいるんでねえ。知識や能力よりも公平な目が必要らしいんでね、くれぐれもよろしくお願いしますよ。じゃ、てめえは公平なのかって?あら、旦那さん、野暮なこと。こちとら、はなから地下室の人間を名乗ってるんだい。意地悪だって言ってんだい。日ごろの鬱憤を晴らしてるだけかもしれんぞい・・・ま、亀山先生こそいい迷惑だね。それでね、わっちは学会(ちってもあれじゃないよ)も出版界も知らんし、亀山訳がほかのものより優れているのか劣っているのかも全然知りませーん。まー、これは、行きがかりよイキガカリ。エ、イイガカリ?ナンとでもねー。ドンツクドンドンツクツク・・・

亀山訳カラマーゾフの兄弟2 18ページ:フェラポント神父は(中略)ゾシマ長老と、おもに長老制の敵対者だった。

「おもに」はглавноеだけど、なんか長老と長老制が他人行儀じゃない。「とりわけ」がいいように思うけど、趣味の問題ですかね。

19ページ:・・・神父が危険だったのは、主として修道僧の大多数がすっかり彼に感化されており、・・・

確かに、「感化」は「すっかり」と相性がいい。しかし、(1巻74ページ)大多数は「あきらかにゾシマ長老を支持しており、多くが心からかつ熱烈かつ誠実に長老を愛して」おり、かつフェラポント神父から見ると悪魔を巣食わせておるのじゃ。すっかり感化されているとは思えんぞな。「感じ入る」とかでだめかいな。

27ページ:「どんなふうにして舞い降りてくるのですか?どんな姿で?」
「鳥の姿さ」
「聖霊がハトの姿ですか?」
「聖霊のときもあるし、精霊は別で、別の鳥の姿をして降りてくることもある。・・・」

つまりフェラポントさんは「聖霊はハトの姿」と認めたわけですな。ところで、ハトは突然どこから飛んできたのかいや。福音書に聖霊はハトの姿と書いてあるらしい(ルカ3:22、マルコ1:10)。だから、オブドールスクの修道僧の問いは「聖霊はハトの姿ですか?」が正しい。が、どっちにしても、わてのような予備知識のないものには豆鉄砲だんべ。で、「・・・ハトの姿と言われてますね」とか、よけいな説明を付け足したくなければ思い切って「鳥の姿さ」を「ハト」(ぶっきらぼうにね)に変えちゃったら?「ですか?」も「ですね」に変えちゃって。

28ページ:聖霊に抱かれ、イリヤの栄光とともに、だ。
А в духе и славе Илии

参考に。ルカによる福音書 1:17 彼はエリヤの霊と力のうちにそのみ前を行くだろう。・・・
предыдет пред Ним в духе и силе Илии...

もうひとつ、聖書ネタ。うまい翻訳なのか、それともパイーシー神父がアリョーシャに対して用語の解説みたいなことをするのは変か、わっちには判断できないので、ま、ご参考まで、というか、翻訳の悩ましさを味わっていただく、ということで。つまり青い字のところ、直訳は地獄の門。「死の力」もわかりやすさ優先で若干意味がちゃうかな。

31ページ:地獄の門、すなわち死の力もその全体は攻略できません。
и врата адовы не одолеют его.

マタイによる福音書16:18 ・・・わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。на сем камне Я создам церковь Мою, и врата ада не одолеют ее

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2008年2月13日 (水)

亀山訳を鑑賞する(4)

こりゃ終えるのに三万年ぐらいかかりそうですよ。どっかで切り上げなくちゃ。ま、も少し、何か見えてくるまで、あるいは何も見えないことがはっきりするまでやってみますか。考えてみたらまだ始めて一月半でした。もう三億年ぐらいやってる気がする。

しかし、検証騒動も大嵐に見えたけどねえ、相変わらず本は売れてるようだし、亀山先生は引っ張りだこだし。あちらのほうでは地団駄踏んでたりして。ケヘ。冷静になってみると、あのトップページも唐突に亀山ネタが並んでるのは、異様、カッポン!解釈がみんなと違うのと、つまらん誤訳があるのと、なあんも関係ないしね。

まあ、アタシの知ったこっちゃナイス。世の中って難しいのね。やっぱり地下室がいいや。それにつけても・・・・あーあ、大先生に間違いなどあるわけなーいと思っていたあの頃に帰りたい。

さて、下手なテッポの続き。ああ、そうだ、カラマーゾフの兄弟2 2008年1月30日 第16刷です。最初に断っとかないと、ねえ。亀山先生がせっかく工夫したところにケチをつけることになるとも思うので、言いがかりだと思ったら、そう言ってちょ。千葉でなくても暴走とはこれいかに・・・

14ページ:長老は時おり話をすっかり中断させ、気力をふりしぼるかのように苦しげに息を切らすこともあったが、・・・

Иногда он пресекал говорить совсем, как бы собираясь с силами, задыхался,・・・

あのう、как бы собираясь с силами, は苦しさを表現するためじゃなくて、本当にそのように見えたんじゃないかと。気力をふりしぼるようにしながら、息を切らすこともあったが、・・・

17ページ:・・・それをたんなる参考資料として・・・

「たんなる」に相応しい語としての「参考資料」なのでしょうが、パイーシー神父が噂よりも手紙を信じた、つまり眉根を寄せていた(нахмурившись)神父が手紙を読んで内心から湧きおこるある感慨(この、ある感慨、も神父の経験に関連したしみじみとした感情、という感じをわては受けてしまうのだが)抑えられなかったのを見ると、「ただ証拠として」がよかないすか。

18ページ:どうしてあんな大それたことをされるのです?(Как дерзаете вы делать такие дела?)

申し訳ない、1巻に戻ります。141ページ:

「どうして、あんな大それたことをされるのです」諌めるような、ものものしい態度でリーズを指さしながら、修道僧は尋ねた。彼はリーズの「全快」のことを仄めかしていたのだ。
「そのお話をするのはむろん早すぎます。楽になったからといって全快を意味するわけではありませんし、ほかの理由でも起こりえることですからね。でも何かがあったのだとすれば、それは神のおぼしめし以外の何ものの力でもないのです。・・・

ゾシマさんてラッカン的。相手が責めてんのに、まあトンチンカンなお答えだこと。全快がどうとか、どうしてそうなったのか、とか、だあれも聞いてなあい。ウフ。
エ、エ、ゾシマさん、ソーユー目で見たところで何も悪いことしてないって?ナニナニ、「木曜日にこの子のためにお祈りをしてくださり、あなたのお手をこの子の頭の上に置いてくださっただけ」(1巻138ページ、ホフラコワさんの証言)。あやや、こ、これは、大それたことかや?
いや、オブドールスクの修道僧はそういう行為すべてを否定しているんじゃい。ウッソー、彼は「奇跡」に誰よりも大きなショックを受け、迷いに陥ったではないの。「奇跡」に動かされたんでしょ!

よろしいかの。彼は、奇跡に心を動かされるからには、長老が民衆と接することまで否定はしない。従って、「お祈りをして手を頭の上におくこと」を大それたこととは言わない。まして、彼は着いたばかり、長老に「大それたこと」などという大それたことを言って諌める立場にない。さらに「仄めかしている」のは「全快」のこと(治療でなく。尤もこれは訳を変えればいい)。そしてそれに対する長老の答。

敵役として、オブドールスクの修道僧を描き出すために大それた訳をされたのだろう(внушительноを諌めるように、とはかなり意図的)が、だめでしょ。まるっきり、さかさまでしょ。ここには、大したことをなさった、という意味のことを入れなくちゃ、だめでしょ。でも、дерзаете(あえてナニナニする)が、問題ですか?

ムカスムカス、パルフェヌイという人がおったそうな。ある日のこと、旅の途中、オプチナ修道院に立ち寄り、そこで目撃したそうな。女たちがそのひとりの病気が治ったと言って長老レオニードに感謝しているではないかいな。心を打たれたパルフェヌイは叫んだとよ。”Отче святый, как вы дерзаете творить такие дела?..“. 長老は答えた。「これはわたしの力でなしたことでなく、あの人たちの信仰の力で起こったことであり、聖霊の恩寵によりなされたことだ。・・・わたし自身は罪深い人間でな。」

さて、どうじゃい。この、なんだかありがたげなお話の中の、パルフェヌイさんの叫び、「どうしてあんな大それたことをされるのです」でよいかいな?とひょ、上の話はな、ここからの受け売りじゃい。しかも訳が間違ってるかしれんでな。ご自分の頭で判断してくだされや。めでたしめでたし、かどうかね。フム、この議論が正しいとしても、米川さんだってね、『「あなたはどうしてあんなことを思い切ってなさるのですか?」突然僧はたしなめるように・・・』

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2008年2月12日 (火)

亀山訳を鑑賞する(3)

うひょひょ、ちっとも鑑賞になってまへんがな。しょーかの、すまんの。どうでもとってちょうでえ。

ちょいと亀山訳カラマーゾフの2巻の最初の方をスイスイと読んでみましたで。どこもひっかからん。っちゅうことはこれから書くことは無理やりほじくりかえしたってわけじゃけ.。難癖つけちょるようだったら注意してやってちょうでえ。下手なテッポでな。

・・・«пока еще более подтвердится, ибо много в светских легкомыслия, да и случай сей мог произойти естественно», — прибавил он осторожно, как бы для очистки совести, но почти сам не веруя своей оговорке, что очень хорошо усмотрели и слушавшие.

亀山訳2巻17-18ページ:・・・せめてしばらくのあいだはそのことをだれにも言わないよう一同に自粛を求めた。「もっときちんとした裏づけがとれるまではな。なにしろ、俗世には浅はかなことが多いし、おまけに今回のことはごく自然にそうなったかもしれんのだから」後悔しないように神父は用心深くつけ加えたが、当人がそんな言いわけをほとんど本気にしていないことは、はたで聞いていた人たちの目にもはっきりと見てとれた。

はて、峻厳なるパイーシーさんは何を後悔するんかね?意味わかんなあい。コクサイ・・・後悔ってんだから後のことだね。(ホフラコワ夫人が知らせてきた)《奇跡》が奇跡じゃないとわかった時--後悔なんてするぅ?あー、軽薄に信じてしまった、とか言ってかいな?ケヘヘ。口に出してしまったことは、どもならんでぇ。心ん中んことは言いわけしたところで後悔せんようにゃならん。

для очистки совести というのは「良心を安んじるため」みたいな意味かな。確かに辞書に「後で自分を責めぬよう」と書いてあるですね。しかし、これは後のことじゃないでしょ。では、パイーシーさんの良心や如何に。軽佻浮薄を戒める一方、厳しい顔をしてみせながら自分だって《奇跡》を信じていることになにやら後ろめたさを感じている、ちょっと複雑。ま、「用心深く」、だから、あわてるなってなわけで、+как бы で、「自分を戒めようとするかのように」とかそんな意味じゃないんですかね。米川さんは「自分の良心に対する申し訳のように」。うーむ「良心」は訳にいれたほうがいいのかしれんが、パイーシーさんに申し訳、はどうでっしゃろ。「良心に応えるかのように」?ちゃうかなあ。

Видел, у которого на персях сидит, под рясу прячется, токмо рожки выглядывают;у которого из кармана высматривает, глаза быстрые, меня-то боится; у которого во чреве поселился, в самом нечистом брюхе его, 

25ページ:「で、やつらのところでは悪魔にお目にかかれたのかな?」フェラポント神父がたずねた。
「やつらとはだれのことでございます?」修道僧はおずおずと聞き返した。
「去年の五旬節のときに院長のところに出かけていったが、それきりやつらのところには行っておらん。見たのはそのときでやつの胸元にちょこんと腰をおろし、僧服の下に隠れて、角だけ二本出してやがった。かと思えば、ポケットから目をきょろつかせてこっちを恐がっているのもいた。やつのいちばん汚れた腹ん中に居すわっているのもいれば、・・・

どう、この訳文中の「やつ」、同じひとりの人のことと受け取っちゃうよねえ。院長はん?長老?いやいや、「やつ」は「やつら」の一人で、最初の「やつ」と次の「やつ」は別のやつ、というような斬新な文章だでよって言われてもなあ。だんなはん、だんなはん、そりゃスピード違反だがな。ついてこないほうが悪いって?こっちゃ足が遅いで。

普通は、て、おいらが普通はつったって誰も信用せんでねえ、米川さんのを借りると、「ある者は胸の所に抱いて袈裟の陰に隠し・・・またある者は・・・」てねえ、するんじゃろが、原文が悪魔が主語だでねえ、亀山さん、工夫、新感覚なんだろが・・・ええい、「見たのはそのときで」も気にいらん、「やつのいちばん汚れた腹」もなんとなく・・・

「やつらについてる悪魔を見たかいや」
「やつらとは誰のこってす」
「院長のとこでなあ、去年の五旬節に出かけていってそれきり行ってないが。見るとな、おや、こやつの胸元にちょこんと腰をおろしとる、僧服の下に隠れて、角だけ二本出してやがる、あやつのポケットでは目をきょろつかせてこのわしを恐がっているぞい、きゃつは腹だ、いちばん汚れた腹ん中に居すわっているし、あっちでは首根っ子にしがみついてぶらさがっているのもいるが、ご当人、それとは気づかず、あちこち連れまわしているわい、という具合だったわ」

だからどうだっての?って、まあ、ええでしょ。えへ、そのうち調子が出てくるかもしれませんでな。ま、期待しないでちょうでえ。

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