ジョイス・ダブリン市民
いや、だいたい私にはあの『意識の流れ』という言葉がさっぱりわからない。というのは私の意識は流れてくれないからである。私の『意識』は現在及び思考と関係している。まあ、現実と空想と言ってもいいや。(実はそんなふうに分ける必然性はなく、邪道なのだろうが、正面突破する論理の力がないからこそこんな所で好き勝手なことを書いていられるんだ。)で、現在の意識は一瞬の存在、あるいは存在の一瞬であり、その現在が過去となればその意識も消滅する。ところで、思考は流れるかもしれない。私の思考はよどんでいて常に行きつ戻りつし、流れるような思考をなさる方は実にうらやましい・・・が、そんなことはこの際関係ない。思考と意識を混同してはならない。思考する時の意識とは、思考に関係する関係である。(おお、何という独創性の欠如!)想念が過去へ戻ろうと、未来へ馳せようと、意識は現在の一瞬の存在である。流れるのは時であって、意識は、回転する地上の一点が定点として存在するように、常に時間の流れにのった、ただし膨大な過去を背後に従えた、現在の一点なのである。そんなものは言葉の定義の問題だろう、とおっしゃるかもしれないが、私の考えでは、内面を叙述していれば意識をとらえていると解釈するのは浅薄であって、自分の意識を覗いたことのない人が言うことである。内面に関する意識の現われとはエピファニー(この言葉についても全然理解していないのにこういうところで用いては笑われるだけだろうとは思うが)のようなもので、むしろ外面的現象からその存在が暴露されるべきものである。・・・が、まあ、自分でも何を書いているのかわからない、益体もないことはもうやめにしよう(尤ももう誰も読んではいまい)。
さて、せっかく金字塔といわれるユリシーズを手にしながらその価値を理解できなかった不幸な私の『ダブリン市民』との出会いだが、もうそのときの印象も、訳者が誰だったかも覚えていない。ただ、まあおもしろいところもいくつかあったが全体としてひどく暗い感じを受けたような気がする。凡庸な読者の平均的印象だろうか。実際、アイルランドの歴史も、当時の時代背景も、宗教のことも知らず、ジョイスの画期的な文体を読み取れない私なんぞが読んでも、箱のふたを半分、いや、もしかしたらほんの少し開けて覗き込んでいるようなもので、ただ誤解して終わっただけかもしれない。しかしまあ、あの本一冊読むだけのために、歴史や宗教の勉強から始める人もいないだろうから、ごく普通の日本人にとってお勧めの一冊なのかどうか、疑問だ。さはさりながら、あれが名作であることは疑いないらしいので、英語や文学を勉強しようという方にはいいのではないかと思う。かくいう私も数年前に突然思い立って原文で読んでみることにしたのだ。私なんぞの英語力でジョイスを読むなど無謀の限りであるということも知らないほど愚かだったのが幸いしたともいえよう。確かに無謀にはちがいないのだが、インターネット上にglossary、解説等の資料が豊富にあり(これほど豊富なのはジョイスだけではないだろうか)、それを調べているだけで勉強した気になるし、実際、勉強になると思う。お勧めである。
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