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2011年6月29日 (水)

罪と罰第5部(3)

ペテルブルグに上京したとたん、この男の部屋にずっと居候しているのは、たんにけちくさい節約のためばかりではなかった。 むろんそれがいちばんの理由ではあったが、じつはほかにも理由はあったのである。
かって世話を焼いたことのあるレベジャートニコフについて、彼はまだ田舎にいる時分から、ある噂を耳にしていた。つまりこの男は、きわめて先進的な若い進歩派のひとりで、しかも、ある興味深い伝説的なサークルで重要な役割すら果たしている、というのだ。これには、さすがのルージンもびくついてしまった。なんにでも通じていて、いっさいを軽蔑し、あらゆることを暴きたてるこういった強力なサークルを、ルージンはもうずいぶん前から怖れ、何かとくべつな、それでいておよそつかみどころのない恐怖を感じていたのだった。(亀山訳14ページ)

まえせつ その一。この部分以下、ルージンがレベジャートニコフの部屋に居候する理由を説明している。「若い世代」に「探りを入れ」、「取り入る」ために、レベジャートニコフを「頼みの綱」としたのだ。レベジャートニコフが「そこ」に所属しているのだからそれを利用しようということだ。さて、そうした文の流れの中で、上の亀山訳では一か所、不協和音が響いている。「これには、さすがのルージンもびくついてしまった」である。これだとレベジャートニコフは大きなマイナス材料ということになる。

Это поразило Петра Петровича

поразитьは「ひどく驚かせる」という意味だ。ときには「びくついて」もかまわないが、ここであえてその訳語を選択する理由はない。

まえせつ その二。「なんにでも通じていて」以下の一文、原文では、Вот эти-то мощные, всезнающие・・・「こういった強力な、なんにでも通じている・・・サークルこそ怖れていたものだった」の感じ。ということはだ・・・「なんにでも通じていて、いっさいを軽蔑し云々」は、既に両者(著者と読者)が知っていることを明らかにしているにすぎないことになる。「きわめて先進的な若い進歩派」といっただけで、「興味深い伝説的なサークル」がそのようなサークルであることを(当時の)読者は承知している。

そこで、でげすよ。このサークルのね、修飾語がね、問題なんでげす。

иных любопытных и баснословных кружках

中村訳: ある珍奇な、聞いただけでもびっくりするような団体
工藤訳: ある種の興味ある途方もないサークル
江川訳: よく話題にのぼる現実ばなれした一部のサークル
亀山訳: ある興味深い伝説的なサークル

любопытных:珍奇、興味深いはいいとしましょ。баснословныхでげすよ。ま、「現実ばなれした」でも「伝説的な」でもいいようなものだが・・・正確なところを知りたい。一般論を言えば、「伝説的な」の方が好ましい。まえせつで述べたように、直後にそのサークルの説明みたいなものがある。だから、そのサークルの性質に関わる曖昧な修飾語ではないはずだ。といったところで辞書をみましょうよ。

баснословный: 1 伝説的な、2 途方もない。というわけで、おらとしては「伝説的な」を推奨する。メデタシ!!・・・ところが、あいにく、そうはいかないんだなあ。

「伝説的な」といっても、それは、「伝説によって知られる、遠い遠い昔の」という意味らしい。たとえば、ドストエフスキーは、ホメロスについてこの意味で使っている。とするとですよ、現存するサークルにある種の冠をかぶせるような「伝説的な」でありうるのか? むしろ日本語の「伝説的な」とは重なる部分が少ないのではないか? はて、困ったぞ。

では、「途方もない」か? いや、使用例をみると、途方もない贅沢、信じられない安さ、夢のような稼ぎ、どえらい収穫、とてつもない金(額)・・・火を見るより明らか。ある種の性質をもった単語群を修飾する。決してすることが現実離れしてるとか、途方もないとかの意味でサークルを修飾することはない・・らしい。さて、困った。

「伝説的な」もダメ、「途方もない」もダメ、それでいてほかの意味はない。行き詰まり・・・さいなら~・・・うーむ、もっとよく調べれば答はあるのかねえ。しかし、今ある材料で料理しなければならないとすれば・・・

実は、上には現在使用頻度の高い例をあげたが、ほかにも、蚊の大群とか、アカシアの群生とかも、баснословныйは修飾する。それなら、「サークル」も仲間に入れそう。サークルとは、人数の集まりだから。つまり、баснословных кружкахとは、途方もない多人数の集まりなのである。「大勢力を誇るサークル」とか・・・ってなところで満足することにしましょう。

つけたし。「あらゆることを暴きたてるこういった強力なサークル」。мощный=強力。いや、その通りなんだけど、「強力な」ってのは、強力な薬剤とか、強力なモーターとか、作用がはっきりしていると使いやすいんだけど、突然、「強力なサークル」と言われても、何に対してどう強力なんだか。江川さんは「こわいもの知らずのサークル」と訳してはる。ま、調子だね。が、おらはだね、このмощныйもサークルの図体の大きさを表しているんじゃないかと思う。

つけたし、その二。ゲルツェンのサークルとか、ベリンスキーのサークルとか、 кружки とは、まさしくサークルなんだろうけど、暴きたてるなんてことをするとなると、ちょっと日本語のサークルのイメージを逸脱するかな。

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2011年6月 9日 (木)

罪と罰第5部(2)

しばらくでございます。いろいろありまして。あたくしのいろいろなんざどうでもいいんだが。世の中のほうはどうなるんでございましょう。
しかしまあ、なんですなあ、カンちゃんもしゃっきりしないけど、ゲンちゃんを推進してきた党の旦那さんたちがなんで偉そうになさっているのかさっぱりわかりません。ま、いいや。ひとのことは言えません。あたくしにも責任はある。世の中のことはすべてつながっているでな。
えーと、それから、おすもうさんのはなしがありましたな。御裁きそのものが八百屋さんでやんしたなあ。あれが通用しちゃうんだなあ。お見事!
えーと、それから・・・ま、いいや。そんなこんなで今日の日だ。やっとブログを更新できそうになってきました。しかし・・・かれこれ四か月も間があいちゃって。しばらく休むといけません。ロシア語がさっぱりわからん。まるで外国語のよう・・・おほほ。ギャグのすべりも上々でおじゃる。えーえ・・・それに、こうして離れてみると、いままでなんと些細なことばかりつついてきたことか。えーい、かまうもんか。こうなったら、何の役にも立たない些細なことばかりつつきまくってやるんだ・・・と、地下室ふうをよそおってごまかす・・・さて、罪と罰の第5部に入ったところでした。ルージンさんがぶつぶつ言ってはる。

《失敗はまだある、あのふたりに一文も金を渡さなかったのもまずかった》憂鬱な気分でレベジャートニコフの部屋にもどる途中、彼はそう考えた。《ちぇ、なんだっておれは、ユダヤ人みたいにケチくさいまねをしたんだ? 節約だってできなかったじゃないか! あのふたりをできるだけみじめな状態にしておき、このおれを生き神さま扱いさせようって腹だったのに、まんまと逃げられちまった!(亀山訳11-12ページ)

まずは、「節約だってできなかったじゃないか!」のところ。ロシア語では:

Тут даже и расчета никакого не было!

расчетだってどんなものもなかった!(とりあえずこういう感じ)

ここではрасчетが重要そうなので、その意味を調べてみましょう。расчетは「計算」、「計算すること」。さらに、「想定」とか「つもり」。あるいは、勘定と言えば「支払い」、彼のすることは計算づく、なら「利益」、計算して暮らす、なら「倹約」を表すってな感じで使えるらしい。ですからして、過去において現在の事態に関する計算があったとか、なかったとかいう話になりそう。さてさて、そこでですが、問題の文は「いかなる計算も、どのような計算もなかった」、というように読める、かな。
待て待て、待てーい!「あのふたりをできるだけみじめな状態にしておき」云々というのは、「計算」ではないのか? いえいえ、ルージンさんの御考えは違う。ここで、計算とはことをうまく運ぶためのものでなければならない。たとえば、「金を渡したり」、プレゼントをしたりして、ハイ、サヨナラとは言いにくくさせようというのが計算(というようなことが引用箇所の後に書いてある)。そういう計算をすべきだったというのがここの趣旨。
さて、それではどのように訳しますか? 「どのような計算もなかった!」では、よくわからない・・・「計算だってひとつもしていない」。?・・・

ああ、わかってくれとは言わないが・・・

そもそも、なぜ「計算」という言葉が出てくるのか? ユダヤ人云々からの連想だろう。ケチるからには算盤づくでなければならぬ。ところが、計算ひとつしていないではないか! これが思考の流れというものでおます。というわけですので、こんなところがご推奨: 「計算の上のことならともかく!」。

さてさて、先生方はどう訳しておられるか:

中村訳: どうもあまり無成算にすぎたというものだ!
江川訳: これじゃ、まるで先を見る目がなかったも同然だ!
亀山訳: 節約だってできなかったじゃないか! 

見解の相違でござるか。しかし・・・
中村訳。成算がないというのは、成功の見込みがないということ。それなのにことを運んだということ。一方、ルージン氏は成功の見込みがないなんて思っていないどころか、むしろ自分の立場を過信していた。従いまして、中村訳は不適訳でござりまする。
江川訳。なるほど、先を見ていなかったのだから、「先を見る目がなかったも同然」ではある。同然ではあるが、別の事柄である。ルージン氏はそうは言っていないし、ユダヤ人も置いてきぼりだなあ。
亀山訳。расчетに「節約」の意味はある。が、節約の意図だ。「節約だってできなかったじゃないか」と訳すことも可能だが、それは、たとえば、ローンを組んだので、いろいろ節約の手段を講じなければならなかったのにひとつもできずに破たんしてしまったときとか、かな。ケチったのに結果として節約にならなかったのは駄目。いずれにしても、この際、いかにルージンさんにふさわしいとしても、「節約」は絡めない方が論理はスッキリですね。

本日はこんなところで。ぼちぼちと・・・

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