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2011年2月 7日 (月)

罪と罰第5部(1)

たとえば・・・たとえばというと・・・中学の英語の授業を思い出す。for instanceのアールとアイをくっつけて発音せよと。さあ、やってみらんせとな。おいらなんか、あったま悪いから、それを特殊な事柄ととらえるばっかり、一般化できないので、いまもそれが切り離された断片的な思い出として残ってるだけで、発音の上達にはなあんの関係もなかったでござるなあ。先生には悪いが、なんであんなもん繰り返し練習するんやろ、てなもんや・・・しかし、まあ、なんだ、あの、鵜が靴をはいて群れているような英語の授業でもやっていなかったら、落ちこぼれだったとはいえ中学、高校の六年間なかったら、後年、シャーロック・ホームズを訳してみようと思うこともなかったろうし、ついでのことに、地下室の手記をロシア語で読んでみようと思うこともなかったろうし、勢いあまって、誤訳だワッショイとか言って亀山先生をゾッとさせるようなこともなかったろうし、教育の影響というものはどんなふうに現われるか、知るや白梅たまがきにってやつだんべえ。
教育といえば、寺子屋なんかがあって、日本の識字率は世界最高水準だったとかいうけんど、そりゃあ都会のこって、いなかへ行くと、明治に入ってもかなり低いレベル、全国平均にならすと、スウェーデンやプロイセンには遠く及ばず、灰色の脳細胞の国よりちょいと落ちる程度だったってねえ・・・もとい!

たとえば、

最後にダメを詰めて数えると九郎兵衛が半目かっていた

てな文章、たとえば、小説の一節があるとするでしょ。登場人物が碁を打っていたわけよ。これを、どこか外国の人が翻訳するとする。と、(その国の言葉で)

ゲーム終了の手続きを終えるとわずかな差で九郎兵衛の勝利だった

てなふう。ここまではいい。ところが、その国にもあったまの悪いcoderatiとかいうのがいたりして、誤訳だヤッホとか騒ぎだす。曰く、ウェブで辞書を検索したら、駄目を押す: (囲碁で駄目を詰める意から)試合などでほとんど勝ちが決まってからさらに得点を重ねて勝ちを確定的なものにする、とある、してみると、「手続き」なんて書いてない、それに、「わずかな差」じゃないぞ、そうさ、既に勝ってるのにえげつないことをするから、九郎兵衛さん、「反目」を買ったんだ・・・いやはや、御冗談を、と言うなかれ。この「辞書」以外になあんの知識もなかったら、そんなふうに考えても無理はなかろう、大石殿。

ま、辞書の使い方も難しゅうござる。くれぐれも気をつけなくちゃ。自戒、自戒。それに、なんでございますな、今の例の場合、碁を知ってる読者向けと、そうでない読者向けでは正解が違うということもあろう。まあ、読者抜きの翻訳をやったっていいけどさ・・・ともかく、そういう問題を抜きにして翻訳批評はでけんこってござんす。そこで・・・唐突ですがね・・・そこでですが、そのお、「胆汁」ってのはどうなんざんしょ? 胆汁質 : 短気 とか言うらしいけど、胆汁って聞いて皆さん、どう? 英語のbileなんてのは調べると、1 胆汁 2 不機嫌、癇癪 と書いてある。だけど、日本語の胆汁をさ、癇癪と結び付ける人ってどのくらいの割合やろ。と申しますのはな、御承知でもございましょうが、ドストエフスキーにはよく胆汁が出てくるから。つまり不機嫌と結び付いた胆汁がね。というかロシア語の胆汁:желчьは英語のbile同様、両方の意味を持つので・・・まあねえ、べつにわからなくたって前後からなんとなく意味は取れるだろうから、胆汁と訳しときゃいいんだろうけども・・・たとえば、次のような例はどうざんしょ。罪と罰第4部の5から。

なにしろ、いまのご時世、こういう連中はみんな病んでるし、やせこけていて、いらついていますからね!・・・・・・やつら、そろいもそろって、どんなに胆汁を溜めこんでいるか知れたもんじゃない! あれって、なんと言ったらいいか、ことによっちゃ一種の鉱脈ですよ!(亀山訳2巻357ページ)

胆汁=イライラを知らないとちょっとわかりにくい。でも、かまわないのかな。そいうものだと思って読めばいいんだから。いや、「胆汁」と訳すよりしょうがないのかな。「胆汁」の意味を知ってる人が、知らないかもしれない人に向って話をしているだけのことだ。ふうむ、では、次のケースはいかがでしょ。第5部の1から。

Петр Петрович тотчас же посмотрелся в зеркало. Он опасался, не разлилась ли в нем за ночь желчь?

ベッドから起きあがると、ルージンはいの一番に鏡をのぞきこんだ。ひと晩のうちに顔がすっかりむくんでしまったのではと、心配にかられたのである。(亀山訳3巻9ページ)

желчьは胆汁、разлиласьはあふれた、とか、広がった、とか。んだもんで、江川訳は「一夜のうちに胆汁が全身にまわったのではないかと不安だったのである」。『永遠の夫』にも同じように鏡を覗き込む場面がある。どうやら、ドストエフスキーは不快と胆汁が現実に関係していると考えているらしい。そこで、ですが、亀山先生の「むくみ」は、実際には、間違いだ。しかし、むくみなら鏡を見て一目でわかる。長所。一方、なぜ「むくみ」を心配するのかちと不明(多くの読者には胆汁も同様だが)。また、読者に胆汁に関するイメージを与えるチャンスを失った。これらが短所。ふうむ、どうなのかなあ。工藤訳は、「一晩で顔が黄色くむくみはしなかったかと、恐れたのだ」。黄色をつけてもねえ。

もっとも、жёлчь разлиласьは胆汁がまわる、ではなく、黄疸になったってこと。つまり、工藤先生のおっしゃるように顔が黄色いか見たんだな。しかし、だなあ・・・黄疸ははたして適訳か?

つまり、実際に言いたいことは、不機嫌のあまり胆汁があふれ、黄疸になったかもと心配したということ。ところが、「黄疸」は正しい訳だが、ロシア語ではそこに内在している胆汁、癇癪という鎖の輪が日本語では消えてしまっている。なんでいきなり黄疸になっちゃうのか読者にわかりにくいかな。一方、「胆汁がまわる」は怪しげな表現(誤訳?)だし、原因と結果を読者の想像に任せているが、「胆汁」がほかにも出てくることを考えると受け入れやすい。「むくみ」はわかりやすさか。さてさてさて、どうなんですかねえ。まあ、どれがどうというより、百点満点の翻訳はないってことかな

偉い先生は、これらの翻訳を理論的に分類して名づけちゃったりするんだろうが、жёлчьと黄疸も一つの特殊な事例だから・・・

ふふ、第5部もどっちつかずの話ではじめちゃいましたねえ・・・

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コメント

はじめまして。
『地下室の手記』を読んで、以前から疑問に思っていたことがあり、検索していましたらこちらに辿り着きました。
読解力がないため、恐ろしく幼稚な質問かも知れませんが、よろしければお教え頂けると嬉しいです。

第二部の1の最後、
<もちろん、僕は三日後に僕に起こったことを君たちに描写するつもりはない。僕の第一部『地下室』を読んでいればご自分で推測できるだろう。将校はその後どこかへ転任になった。これでもう十四年、僕は彼を見ていない。今は彼は何をしてるのか、我が友は?誰を押しつぶしているのか?>
とありますが、この将校とは、ズヴェルコフのことなのでしょうか? 内容から察するとそうなのだろうと思ったのですが、<第一部『地下室』を読んでいれば>とあり、引用文が書かれているのは第二部ですので、つまり転任になった将校の話は今まで読んで来た部分に書かれているかのように解釈してしまい、しかし実際にはズヴェルコフ達との間に起こった事件は、引用文の後に書かれていますので、つじつまが合わないと言うか、よくわからなかったのですが。
ひどく間抜けなお尋ねかとは思いますが、お答え頂ければ幸いです。

『罪と罰』についての記事に、全然別のことを書いてしまい、申し訳ありません。因みに、『罪と罰』は工藤精一郎氏の訳で読む機会が多く、そのため、個人的には工藤氏の訳が一番読みやすいです。訳者さんによって全然印象が違って来るのが面白いですね。

長々と大変失礼致しました。乱文をお許し下さい。

投稿: えむい | 2011年3月 7日 (月) 09時48分

えむいさんへ。
お返事遅くなりました。

この「将校」は、はじめ、名前もわからなかったのですから、ズヴェルコフではありません。
「三日後に起こったこと」についてですが、「事件」のようなことがはっきり本文に記されていると考えない方がよいようです。

投稿: coderachi | 2011年6月 9日 (木) 15時14分

coderachi様

なるほど、そうなんですね。納得です。
お忙しい中、ご丁寧にお答え下さってどうもありがとうございました。

投稿: えむい | 2011年6月29日 (水) 20時00分

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