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2011年1月27日 (木)

罪と罰第4部(16)

ふとしたことで、広島大学大学院の李国棟さん、宗近倫子さんの『雪国』の感覚性研究―英訳との比較を通して―という論文を目にすることとなった。内容は・・・ボンクラにはよくわからないのだが、どうやら、英文に訳すことで失われた表現のなかに『雪国』の感覚性があり、それがジャパネスクであるということらしい。しかし、まあ、英訳と比較することが、本当に『『雪国』』の感覚性をあぶりだすことになるのか、はなはだ・・・創作と翻訳では言葉を選ぶ仕組みが全く違うのだから・・・「突然」と「ふと」、「ふいと」を訳し分けろったって・・・曰く、「ふと」は「突然」よりも柔らかさがあって、緊迫感や激しさが表現できない、とか。まあ、状況としてはさようでござんしょうが、はたしてそこに本質があるだろうか・・・たとえば、

ふと目をあげると前のばっさまがまんじゅうを食おうとしていた

これを老境のご婦人の側から言うと、

おらがまんじゅう食おうとしたらばよ、前のあんちゃんが不意にこっちを見おってさ

がよさそう。「ふと」・・・ふと立ち止まる、ふと我に返る、このごろふと思う・・・「ふと」は無意識の意識の作用を表現するときに活躍すべきものではなかろうか。まあね、彼にふと出会う、という例もあるそうだから、そうとばかりも・・・

いや、あのね、『罪と罰』にはвдругという単語が頻出するんだけど、これが「突然、不意に、ふと・・・」なのね。亀山先生は「ふと」がお好きで「突然」はあまりお好きじゃないらしい。差し支えない限り、こう、と決めてらっしゃるようだが、ちょいと気になる時がある・・・

いや、あのね、亀山訳『罪と罰』も2巻がそろそろ終わるので、この辺でおおざっぱな印象でもひとつと思いましてな。いくつかの頻出単語について・・・いちばん気になるのは、前にも書いたнаконец。英訳辞書には、at last, finallyなどとあるのだが、亀山先生は「やがて」がお好み。これは少数派だろう。それから、loudのгромкийの「甲高い」。それから、разомの「一気に」。「一気に」だと、途中で休まないことに重点があるが、そうでない「いっぺんに」もあるから。ま、ま、詳しく分析するほどのこともなかろうて。3巻で、気になるところがあったらメモするということにしておきましょう。
今回は、ひとつ、бредという単語について考えてみよう思うんですが。 в бреду の形が多いかな。бредитьという動詞の形も。意味は・・・病気で寝ているラスコーリニコフが指輪のことやら、なんやら口走っている状態をいうらしい。亀山訳でどう訳されているかというと、いちばん多いのが「熱に浮かされて」。それから、「幻覚、幻覚状態」。あとは、「夢、悪夢、うなされる、熱病」等。

むずかしゅうござりまする-с。なんだってねえ、世論調査によると、「熱に浮かされる」を使う人より、間違った言い方「熱にうなされる」を使う人が多いって。後者が前者の誤用というのがそもそもよくわからないが(だって意味がちゃうじゃん)、とりあえず、へえ、と、ひとつうなる-с。まあねえ、いまどきは、すぐ解熱剤を飲んじゃうから、なかなかうわごとを言うまでにはねえ。しかし、ほかに代わる言い方がないとすれば、「熱に浮かされる」という言葉にも息をしていてもらわないと困るわけで-с。「幻覚」はどうかって、それはまた違うことを言ってるわけで。いや、もちろん、бред:「幻覚」も間違いじゃないすよ。

ウシャコフさんによれば、бредは、意識のない病人のいううわごと。うわごとを言うような意識混濁の状態と書いた辞書もあるな。бредитьは、うわごとを言う。これだとまさに、「熱に浮かされる」。ところが、ダーリさんの方には、夢を見る、うつつに夢を見るとか書いてある。こっちは「幻覚」派。どっちでもいいってことだ。うわごとを言うようじゃ幻覚もね。読者の側もおんなじようなことを言ってるとわかるだろうし。

というわけで、熱に浮かされる、でも、幻覚、でも、うわごと、でもかまわないんだけど、その一方で、それらを使ってうまいこと場合場合で対応しなくちゃならないとすると、そもそも、どれもぴったりしてないってこと? бредって、ある意味、キーワードざんしょ。びしっと統一できないのはやや残念。が、まあ、しょうがない。亀山訳で、ポルフィーリーとの場面で「幻覚」が主になるのも、それなりに故あることなのでしょう。ただ、気になる個所が2ヶ。

・・・・・・あなたは熱に浮かされているんですよ!あなたのまわりで起こっているのは、何もかも幻覚にすぎないんです!(亀山訳371ページ)

「何もかも幻覚」だと、なんにもなかったことになっちゃう。少し思い切りがよすぎるかなあ、と。ま、いいですか。あと、ひとつは・・・例の、「人殺し」と言った町人が謝りに来たところ:

つまり、部屋を借りにいった話と、血のことでやりとりしたこと以外、この男は何ひとつ話せないわけだ。つまり、ポルフィーリーも、あのたわごとのほかには何ひとつ手にしていないことになる。(「たわごと」に傍点。亀山訳400-401ページ)

「たわごと」に傍点がふってあって、原文ではイタリックでбреда。意味は「たわごと」でいいし、正確を期すなら「うわごと」・・・だが、それでは、傍点を打つ意味がないざましょ。ポルフィーリーと共有する語を用いなくては。ここで、たとえば、「幻覚の産物」とか訳すことができないなら、もともとбред:「幻覚」という訳がスカタンということになっちまう。

2巻の残余の問題については、次回もう一回ということで、おねがいしま~す。

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2011年1月20日 (木)

罪と罰第4部(15)

さて・・・わたくしのように、文章の一部分を取り出してこねくり回していると、かえって意味がわからなくなってしまうのかもしれないと思います。普通に本を読むときには、スーッと読み下す。それで何らかの印象が残る。その印象が作者の言わんとしたものであればいいわけである。すると・・・必ずしもわかりやすい文ではなくても、正しい印象を伝えられるかもしれない。必要な要素が含まれていれば脳が勝手に処理してくれるかもしれない。だとすると、そういう文章の書き方もあるということになる。

どうしてこんな、自分でもよくわからないばかばかしいことを書いているかと言えば、次に示す亀山訳の文章を読んで考えているうちに、すっかり混乱させられてしまったからだ。ポルフィーリ曰く、「ある男」が自分から殺人の罪をひっかぶったのだが・・・

なんせ、次から次へと幻覚を並べたて、事実を示し、状況を話し、並みいる相手を煙にまき、混乱させてしまった(亀山訳370ページ)

読みやすい。それは今でもわかる。だが、これを初めて読んだ時どのように理解したか、もう思いだせない。もしかすると、幻覚を並べたてることと、事実を示すことは相反する事じゃないかという、消化しきれない何かを感じたかもしれない。あるいは・・・

最初の部分に相当するцелую галлюсинацию подвелという一節、まるまる幻覚を持ってきた、という意味のよう。つまり、「ある男」の持ち駒は全部幻覚ということらしい。江川訳はそれに配慮している。「幻覚を一から十まで並べたてて、事実は提示する、状況は説明するといった具合で」といった具合。誤読の余地はない。但し、原文に「といった具合」なんて書いてない。なくてすむならその方がいいかも。では、亀山訳は・・・

いいような気もするが、しかし、誤読の可能性を感じる理由の一つは・・・「並みいる相手を煙にまき」である。意図的であることを示す「煙にまき」という表現はそもそもあまりこの場にふさわしくないと思うが、この、どうだ!と言わんばかりの言い方が、事実の運び手のはずの幻覚を表舞台に引き出してしまうからだ。とはいえ・・・まあ・・・いいとしますか。わけのわからない話はきりあげて、今の部分の続きから、本題。

45 и как узнал про то, что он убийцам дал повод, затосковал, задурманился, стало ему представляться, повихнулся совсем, да и уверил сам себя, что он-то и есть убийца!

自分が犯人にきっかけを与えたってことを知ると、急に気がふさぎだし、意識ももうろうとし、幻覚にまでなやまされるようになって、すっかり腑抜け状態になってしまい、とうとう自分が犯人だと信じこんでしまったわけです!(亀山訳370ページ)

「意識ももうろう」と「腑抜け」についてちょっと。まず・・・

задурманитьсяは辞書によると(ウシャコフさんとかダーリさんに嫌われてしまって一ヶしか見つからなかったので頼りきってはいけませんが)、明晰に考える能力を失うこと。じゃ、「意識ももうろう」は間違いかというとそうじゃない。задурманитьには、「論理的な思考力を奪う」のほかに、「意識をぼんやりさせる」なる意味がある。ま、おいらは、ちゃんとものが考えられなくなるほうがいいと思うけど。

повихнутьсяも、あまり使用頻度の高い単語じゃなさそうですが、ウシャコフさんとダーリさんのおっしゃることを総合すると、(頭が)おかしくなっちゃう、あるいは、正しい道からはずれる、という具合であんして、どうも「腑抜け」とは違いそう。

46 少し戻って。ポルフィーリー、ラスコーリニコフがばったり倒れちゃったことへの当てつけ話。

もののみごとに嘘はついてみせた、でも、自然ってやつを勘定に入れるのを忘れていた。ほかでもない、こういうのを浅知恵っていうんでしょうな(亀山訳363ページ)

натуруは「自然」と訳した方がかっこいいから、皆さん、そう訳すんでしょうね。中身は、人間の性質、みたいなものかな。さて、疑問は、「ほかでもない」以下。原文がわかりにくい。

Вон оно, коварство-то где-с!

оноとはなんだ? гдеはどこだ? とかは、わてには解決不能。ほかの方の訳も参照しあんしょう。

中村訳: ここにもう危ない陥穽があるんですて!
工藤訳: まあこれが、奸知の限界ですね!
江川訳: まあ、これが猿知恵というものですかな!
亀山訳: ほかでもない、こういうのを浅知恵っていうんでしょうな!

ますますわからない。いやはや、どこに陥穽があるんだろう。猿も陥穽に落ちる?・・・

少し前にОно, положим, болезнь「たしかに、病気のせいもある」というところがある。ここでОноは「ばったり」をもたらしたもの、あるいは、そういう状況はさしているんだろうか。Вон оноは、そのことと、「人間の性質を勘定に入れていない」ことを受けて、「それでそういうことになる」、というような意味って考えちゃいけないのかな。

一方、коварствоは狡猾さ、あるいは、悪意ある行為、計画・・・гдеは、いずこ というわけで、甚だ勝手読みながら、総合すると、「言わんこっちゃない、悪だくみも形無しでございます」てなもんや。こんなところがおいらの浅知恵の限界。ふうむ、悪賢さの含まれている、工藤訳に一票入れときますかあ。

47 У вас-то болезнь, а у него добродетель, болезнь-то и выходит к нему прилипчивая

中村訳: あなたのは病気、あの男のは親切だが、病気って奴は、じきあの男にも感染しますからなあ
江川訳: あなたのは病気で、あの男のは善意ですが、病気という奴は伝染しやすいんですな
亀山訳: あなたのが病気なら、あの男は善意です、で、病気っていうのに、あの男は伝染しやすいたちでしてね

病気一般の話じゃないのは明白とはいえ、一般に伝染しやすい、みたいな江川訳が変だというので、ラズミーヒンがうつりやすいたち、と亀山さんはしたわけだ。ふうむ、そうなのかなあ。わかりません。прилипчиваяは病気が「伝染性の」ってことでしょう。すると、すなおーに読むと、「病気ですからあの男に伝染することにもなりますよ」だと思うんだけど・・・

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2011年1月12日 (水)

罪と罰第4部(14)

40 Я, знаете, человек холостой, этак несветский и неизвестный, и к тому же законченный человек, закоченелый человек-с, в семя пошел и

じつは、わたし、独身でしてね、社交界とのつきあいもないし、名前も知られていません、おまけにもうできあがった人間、こちこちに固まった人間、しがない種馬みたいなもんでして・・・・・・・(亀山訳347ページ)

「しがない種馬」、みなさんはどう思われる? え、感じが出てる? 自分は終わってしまって・・・が・・・が・・・これ、子だくさんのほか能のないお父さんが言うならいいかもしれないけど、独身だってんだからねえ。意味は正確にとらえてらっしゃるんでしょうが、あいにく種馬ってのが「しがない」かどうか・・去年の口蹄疫で明らかになったように、種牛の価値は、普通の牛と比べもんにならない。種馬もそうでしょ。みんながディープインパクトじゃないにしても、エリート中のエリート中のエリート。ターフで雄姿を見ることはないにしても、しがないとは言わない。もっとも、しがない、がついてるから意味が通るんだが・・・さて、семяはなるほど、種ですが。в семя пошел 、ほかの方はどう訳してるかな?

中村訳: 種になりかかっている人間です
工藤訳: もうぬけがらになりかけています
江川訳: 正札つきの小役人なんですな
亀山訳: しがない種馬みたいなもんでして

中村さんはそのまんま。工藤さんは意訳。江川さんは全くの創作。亀山さんはミスマッチ・・・辞書にはどう書いてあるかというと(пойти в семенаと書いてあるけど)、要するに、盛りを過ぎ、成長を止めることらしい。日本語で言うと、花の盛りを過ぎましたってところですか。

41 芸術かトリックか

この予審判事の仕事っていうのは、まあ言ってみれば、一種の、自由なトリックといおうか、それに類したもんでしてね・・・・・・(亀山訳351ページ)

「自由なトリック」のところ(свободное художество)、たとえば、江川さんは「自由な芸術」と訳している。どちらの意味もあるのでなんとも言えません。ただ、「トリック」のхудожествоはあまりいい意味では使わなそう。

42 Уж эти (некоторые, конечно) глубокомысленно-психологические приемы-то наши крайне смешны-с, да, пожалуй, и бесполезны-с, в случае если формой-то очень стеснены-с. Да-с... опять-таки я про форму:

われわれの用いる、この心理学的とかいう大まじめな手法なんて(むろんぜんぶじゃないですよ)、じつに滑稽きまわりないもんなんですよ、そう、この形式ってのがあんまり表に出すぎたりすると、それこそ、役立たずってことになりかねませんでね。おやおや・・・・・・また形式のことなんかを言いだしているみたいだ。(亀山訳352ページ)

глубокомысленно-психологические は前が後ろを修飾しているのだから、心理学的とかいう大まじめな手法ではなく、真面目に心理学を用いる手法かな。それから、この文章、何が役立たずになるのかわかりにくい。「手法」だって、わかる? 「・・・滑稽きわまりないものだし、その上、あまり形式に縛られたりすると役に立たないてことになりかねない」でわかるかなあ。

それより問題は「おやおや」以下。まるで、気がつけば形式の話じゃないですか、みたいですが・・・ハナから形式の話をしてるわけだし、それによくごらんくださいませませ:формуの後ろはコロンでっせ。これからまたまた形式の話をしまっせ、という印でござんしょう。おやおや、みたいだなんて、知らないふりをしちゃって、分裂気味。

43 И не силу же он свою мне бесполезно выказывает и... подсказывает: он гораздо умнее для этого!

《けっこうな講義じゃないか(中略)それに、自分の力を意味もなく誇示し・・・・・・あてこすってやろうってのでもない。やつははるかに利口な男だから、そんな手は使わない!(亀山訳359ページ)

ポルフィ-リーの長広舌についてラスコーリニコフが言ってるのですが。подсказываетは、セリフを忘れた俳優にそっと教えてやったり、あるいは、誰かに何かのアイデアを与えたり。言葉は悪いかもしれないけど、知恵をつけるって感じかな。穏当に訳すなら「ヒントを与える」とか。あてこするという意味はなさそう。従って、それは「「手」ではない。「やつは」以下、「そんなことをするようなばかとはわけが違う」とか。

少し後にもподсказыватьはあって、「なんのために、ここまでおれに手のうちを明かす」と訳されている。これも意訳だがまあいいでしょう。

44 そりゃあまあ、小説の山場ではありましょうが

ところが男は、そこでばたんきゅう! そう、ここぞという山場、いちばんスキャンダラスな場所で気絶し、ぶっ倒れちまう。たしかに、病気のせいもある、部屋のなかはときとして息苦しいこともある、でも、それにしたって!(亀山訳363ページ)

もちろん、これはラスコーリニコフが警察署で倒れたことをあてこすっている。そうすると・・・в самом-то интересном, в самом скандалезнейшем месте。後半の「 スキャンダラスな場所」はいい。が、あれが「ここぞという山場」かというと、??? だって帰ろうとしたときに事件の話が聞こえてきただけだもん。интересномは興味を引く、好奇心をそそる。この場合は、おもしろい場面という意味じゃなく、もっとも注目を浴びやすい場所という意味じゃろう・・・江川さんも「クライマックスのいちばんの見せ場」だってさ?????

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2011年1月 8日 (土)

罪と罰第4部(13)

数とか時間とか、ものの名前とかを訳す場合は迷うことはない。しかし、あいまいな広がりを持つ言葉を訳す時は、ぴたりとそれに重なる日本語があるとは限らない(あるはずがないよ言った方がいいのかな)ので難しい。その場にもっともふさわしい訳語を、おそらく、訳者さんたちは探してあてはめてらっしゃるのだろうが、そういう時に好みというか、意見の分かれることがある。困ったさんの典型的な例が「フョードルさんはбестолковыйだ」ってやつだ(前にフョードルさんは頭が悪い?って題で書いた話をちょっとだけ蒸し返す)。бестолковыйは愚かなって意味だが、より細かく分けると、頭が悪い、理解力なしって意味と、筋が通らん、わけわからんって意味がある(これも非常におおざっぱ)。そして、最初は多義的に理解されるбестолковыйの一部の意味が続く文章で否定されるのだが・・・(途中をカットした話になるが)たとえば、某先生はフョードルさんは頭は悪いが愚かじゃないということであると主張される。これではまるで、フョードルさんはテストの成績は悪かった、みたいな感じ。いけてないご主張だ。だが、しかし、もとはと言えば、бестолковыйがわけのわからんやつなのだ。ロシア語のわかる人がロシア語で読む分には、深く考えることもないことなのだろうが、いざ訳そうとしてこねくり始めると、所詮日本語には移しきれないこったから、ま、某先生もわけがわからなくなってしまわれたんざましょう。ま、ま、こんな明確な困る例にしょっちゅう出くわすわけではないですが・・・

では、と・・・お正月ぼけから覚めるよう、肩慣らしにひとつ・・・ひとつ・・・うひ、最初っから、しゃっきりしない話になりそう。

ポルフィーリーは、自分が面とむかってからかっている相手が、その笑いを憎しみをこめて受けとめているという事情に、ほとんど無頓着らしかった。相手が無頓着であるのは、ラスコーリニコフからすると、きわめて意味深長だった。ポルフィーリーは、さっきも気まずさなどまるきり感じていなかった、いや、それどころか、ラスコーリニコフのほうが、もしかすると自分は罠にかかったのかもしれないとさとった。(亀山訳344ページ)

後半の文が少々変なので事態が複雑になっている。とりあえず、「ポルフィーリーはさっきも気まずさなどまるきり感じていなかった、いや、それどころか、自分のほうがもしかすると罠にかかったのかもしれないと、彼はさとった」と読んでおいてちょうだいませ。そこで、「無頓着」と「気まずさ」に注目してみましょう。

очень мало конфузится :「無頓着である」
совсем не конфузился:「気まずさなどまるきり感じていなかった」

というわけである。同じ動詞なのだ。同じだから話がつながってる。「気まずさなど」のところ、「まったく頓着などしていなかった」と取り替えてごらんなさいませ。明快、明快! 薄ぼけた文章はドストエフスキーのせいではなかった。まあ、もちろん、亀山さんも(江川さんも似たよう)そんなことは御承知の上のことだろう。一つには、「無頓着」に惚れ込んでしまった。しかしながら、対象のない場合に「頓着」は用いにくいので「さっき」の方には使えなかった。ということでしょう。

問題は、「無頓着」がうまい!というところにあるらしい。ぴたりと一言、文章に締りが出るなあ。が、実際のところ、конфузитсяは「うろたえる、どぎまぎする、決まりの悪い思いをする」てな感じで、「頓着する」とはまったく違う。「気まずい」は範疇。否定すると、ほぼ「無頓着」になるが、正確ではない。さあ、どうすべえ?・・・中村白葉さんの当該個所をみるずら。

客が自分の哄笑を憎悪をもって迎えているのに対して、べつにわるびれた様子はなかった
先刻もポルフィーリイ・ペトローヴィッチは少しもわるびれてなどいなかった

フム、「わるびれる」はなかなかうまい。無頓着より正しい。二つのконфузитсяの訳語をそろえるという意味では実に結構だ。だがしかし・・・今度は「いや、それどころか」による対比が問題となる。напротив:「それどころか、逆に」である。罠にかかったのはこっちだった、に対するには、気まずそうだったとか、悪びれた様子だった、では少々不足の感あり。もちっと困った感じが出ていないとね。たぶん、このконфузитсяは「困惑する」というような意味で捉えるのがよさそう。実際、この単語の中心付近に位置している意味だ。江川さんはその線。一つ目は「無頓着」としているが、二つ目は「ひとつもうろたえていたのではないらしい」。

そこで、ですがね、今度は「さっきの」、「先刻の」場面を見てみましょう。

ラスコーリニコフが、いくつかの点から相手にどことなく動揺の色が浮かんでいるのを見てとったのは、それから何分か後のことだった。不意をつかれて面食らったか、あるいは、ひとりこっそりと何かしているところを見つかりでもしたような様子だった。(亀山訳339ページ)

これ、後になって、ラスコーリニコフの現われるちょっと前に例の町人が来て話をしたこと、従ってポルフィーリーは情報をたった今、得たこと、そしてそのことを意識していることを表しているとわかる。・・・だとすると、それは「気まずい」とか「悪びれる」と言った類のものとは違いそう。どう感じようとラスコの勝手でしょと言うなかれ。明快な話を意味深に理解することはない。

動揺と訳されたзамешательство、面食らった:と訳されたсбили с толку、そしてさっきのконфузитсяの三つは意味の重なる部分がとても多い。たぶん、この場合、すべて、困惑、動揺の類義語で処理すべきではないかと思う・・・という、実につまらない結論に達し、一瞬にしてけりがつき、我ながらあきれかえったのではありました。さて、ひとまず先を急ぎましょう。

37 да! славная вещь! — чуть не вскрикнул он под конец, вдруг вскинув глаза на Раскольникова и останавливаясь в двух шагах от него

「そう! いいもんでして!」彼はやっと、ラスコーリニコフのほうにすばやく視線を走らせ、彼から二、三歩のところに立ちどまると、ほとんど叫ばんばかりの声で言った。(亀山訳342ページ)

「やっと」はどこにかかる? フム。под конецはвскрикнул(叫ぶ)にかかる。この直前にあるポルフィーリーのセリフ、「ほんとうにいいもんですよ、ほんとうにいいもんで」の繰り返しと比べて、この(最後の)「いいもんでして」が叫ぶようだったということで、「最後は(ほとんど叫ばんばかりの声で)」と訳すのががよろし、ね。

38 ведь это существует, кажется, такое юридическое правило, такой прием юридический — для всех возможных следователей

だいたい、予審判事とか名のつく連中には、あるきまった法的なしきたりっていうのか、法的な手口といったものが存在してるそうですね。(亀山訳343ページ)

無関係な話題で被疑者を油断させるのは、取り調べにおける一種の原則、方法であり、「官舎云々」はそれだ、と、ラスコーリニコフがあてこすっているところ。それはあくまで取り調べの方法であって、法律で規定するものではない。従って法的なものではない。わかるけどね、間違いは間違い。法律家的? さらに問題なのは次の個所。

Об этом, кажется, во всех правилах и наставлениях до сих пор свято упоминается?

このことに関しちゃ、今でも、どんな法規や判例集をみても、金科玉条みたいに扱われてるらしいじゃないですか?(亀山訳)

法律や規則、あるいは、判決例に、取り調べの仕方は載らないでしょう。(取り調べの)原則集や指示書(手引き)みたいなものでは? ほかにも、юридические формы и правилаを「法律上の形式や規則」と訳したところがあるけど、同様。

39 закудахтал вдруг Порфирий Петрович, тотчас же изменяя и тон, и вид и мигом перестав смеяться

ポルフィーリーはぴたりと笑うのをやめ、ただちに声色から顔つきまで変えて、とつぜんにわとりが鳴くような甲高い声で叫んだ。(亀山訳346ページ)

закудахтатьは、кудахтатьし始めること。кудахтатьはめんどりが鳴くこと。どうやら、кудах-тах-тахと聞こえるらしい。「コケコッコ」なら、たしかに、甲高い声で叫んだんだろうが、しかし、この単語、人間のおしゃべりに適用する場合には、興奮気味にせかせかと話すこと(普通、女性)をさすらしい。そんなふうにしゃべり始めたということだろう。

追記:367ページにもありました。

ポルフィーリーは、例のにわとりの鳴き声に似た声で親身に話しかけたが、それでもまだ、何かしらショックを隠しきれない様子だった。

ここもзакудахтал、せかせか話し始めたのでしょう。

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