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2010年8月30日 (月)

罪と罰第3部(16)

『星屑の町』という歌、ご存じ?

両手をまわして 帰ろう 揺れながら
涙の中を たったひとりで

両手をまわして・・・子供の頃の電車ごっこを思いだしながら、両腕をくの字に曲げ、脇につけて腰の横で回していると想像できる人はどのくらいいるだろう? ま、わからなくったっていい歌だけどさ。

さて、それでは、(といっても全然関係ないけど)、次の文の手の動きはどんなものでどんな意味?

50 『なにっ、どこまでも白ばくれてやがる、畜生め!』とラズミーヒンは叫んで、おどりあがって、片手を振った。『いったい、貴様なんかと口を利く価値がどこにある!(中村訳)
ラズミーヒンは大声を張りあげ、とびあがって、片手を振った。(江川訳)
ラズミーヒンは叫んで、いきなり立ちあがると、片手をふりまわした。(亀山訳)

「畜生」と叫んでおどりあがって手を振ったら、そりゃあちょっと乱暴な感じ、脅しまがい。そりゃあ「ふりまわした」でしょう・・・でも、そういう時って、片手じゃなくて、こぶしじゃないかいな? 「片手を振った」って、なんじゃい・・・って思いませんか? これらの日本語訳から正しい動き、意味を理解できる人はどのくらいいるだろうか・・・原文:

вскричал Разумихин, вскочил и махнул рукой

махнул рукойはそりゃもう間違いなく「片手を振った」だが、意図は、「おら知らんがな、勝手にしくされ」で、苛立ちを伴う。つまり、「もうやめたとばかりに片手を振った」」のだ・・・しかし、そういうくどくどしい訳をすべきかどうか。うまい解決法はないかなあ・・・

でも、おどりあがったり、とびあがったりして片手をふるのは誤解のもとだよね。おそらく憤然として席を立ったので、「ダッと席を立った」ってとこかな。亀山さんのはそのニュアンスで「いきいなり立ちあがった」んだろうけど、たぶん、原文を見ずに推敲するときに「ふりまわし」ちゃったんだな(「片手を振った」では意味が取りにくい証拠?)。が、ふりまわすのはいかんと思います・・・でも、前後を見ればだいたいのことは伝わるから・・・いっか・・・

お話変わって・・・いっちゃんは何を考えているんだろう。世間の支持なしに何かできるのかねえ・・・というところで、

「なんだって、それじゃあカンさんには政策は実行できないってわけか?」
「いやいや、かならずしもそうじゃないんだ」とポーさんは答えた。

という場合、ポーさんからすると、政策が実行できないと言ってるわけじゃあないんだね。実行できるかもしれないが友愛の精神が・・・そこで、ラズミーヒンとポルフィーリーのやり取り

51 「なに? なんだい、そりゃ? 犯罪の権利? だって、それじゃあ『環境にむしばまれる』んじゃあないってわけか?」ラズミーヒンは、いくらか仰天したような面もちで問いただした。
「いやいや、かならずしもそうじゃないんだ」ポルフィーリーが答えた。(亀山訳160ページ)

してみると、場合によっては「環境にむしばまれる」がため? 違うでしょお。もっともこの訳、逆の解釈をしても釈然としない。「かならずしも」のせい。だって、ラスコーリニコフの理論と「環境にむしばまれる」のと全然関係ないでしょう。

Нет, нет, не совсем потому— ответил Порфирий

「そう、そう、全然そんな理由からじゃないんだ」ポルフィーリーが答えた。(江川訳)

こちらが正解でしょう。「かならずしもその理由からじゃない」と言うはずがない。совсем、否定とくっついて全然~ないと解釈する場合。それと、нетを二度繰り返しているのも「いやいや」という軽い感じじゃない。

それにラズミーヒンの質問も少し変。まるで『環境にむしばまれる』んじゃないことに納得がいかないみたいで。ここは、同じように犯罪を正当化するにしても、『環境にむしばまれる』んじゃないことを確認しているんでしょう。

52 その少し先。

Обыкновенные должны жить в послушании и не имеют права переступать закона, потому что они, видите ли, обыкновенные. А необыкновенные имеют право делать всякие преступления и всячески преступать закон, собственно потому, что они необыкновенные

凡人は、従順に生きなくちゃならない、法を踏み越える権利ももたない。だって、そうだろ、彼らは凡人なんだからね。ところが、非凡人はあらゆる犯罪をおかし、勝手に法を踏み越える権利をもつ、なぜなら、彼らは非凡人だからっていう、それだけの理由だ。(亀山訳160ページ)

前半、後半は同じ構造で、どちらも、権利のあるなしにおいて、凡人であること、非凡人であることのほかに何も理由はないことを述べている。собственноは「まさしく」と強調しているのだろう。видите лиも同じで、ここが眼目ですよ、注目してくださいと強調している。従って、お互いわかってる風に「だって、そうだろ、彼らは凡人なんだから」ってのはうまくないと思うんだなあ。

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2010年8月25日 (水)

罪と罰第3部(15)

46 第3部の5。依然、ポルフィーリーがお茶をいいつけに行っている間のラスコーリニコフの考えていること。

Он меня ощупывает. Сбивать будет.

奴はおれをさぐってやがる。おれをまごつかせやがるだろう。(中村白葉訳)
さかんに探りを入れてきやがる。しどろもどろにさせようというんだ。(江川訳)
こいつ、さぐりを入れてるぞ。撹乱作戦ってわけか(亀山訳)

中村訳では前半と後半が独立している(考えようによっては支離滅裂だ)が、江川訳(・・・というんだ)、亀山訳(・・・ってわけか)では、前半のポルフィーリーの行為は、後半のことを目的としている。

しかし、江川訳、亀山訳には納得がいかない、たこない、くらげない・・・というのは、будет。未来でござんしょ。現在のことである撹乱作戦はもちろん、「しどろもどろにさせよう」だって、今やってることが原因なら先のことじゃあるまいよ。違ってそう。

では、前半と後半は関係ないのか? そんなこたあない。今は探りを入れている。そのうち、Сбивать なのだ。そこで、Сбиватьだが・・・まごつかせる(撹乱するでもいいや)の意味はたしかにある。しかし、主な意味は「打ち倒す」だろう。あるいは、まごつかせる、撹乱するに近い意味としては、「困った立場に追い込む」。そういうことを考えると、そのうちびしびしとやってくるぞ・・・ではがつんとこないので・・・

探りを入れてきてるな。そのうちがつんとくるぞ。

47 ラズミーヒンの『社会主義者の見解』から。

Натура не берется в расчет, натура изгоняется, натуры не полагается!

そこでは、人間の本性ってのがカウントされてない、本性はそっちのけだ、本性は無視されてるんだ!(亀山訳153ページ)

изгоняетсяは「追い払われる」。一方、「そっちのけ」は「かまわずにほうっておくこと。また、そのさま」だそうな。また、не полагаетсяは「認められない、禁止されている」。「無視」と違いまっさあ。もしかすると、これは本質にかかわる問題でございます。「本性ってのがカウントされてない」も、無視的態度でげすね。

48 引き続き、ラズミーヒン

И выходит в результате, что всё на одну только кладку кирпичиков да на расположение коридоров и комнат в фаланстере свели!

で、けっきょくは、フーリエが言いだした共同宿舎のレンガ積みやら、廊下作り、部屋作りにこき使われるだけってわけ!(亀山訳154ページ)

部屋作りはともかく、廊下作りって言葉はあまり聞かないやねえ。расположениеは、「家の中の部屋のрасположение」とか、「室内の家具のрасположениеを変える」とかいうふうに使われる。「配置」ですね。

些細なことを言って、と思われるかもしれないけどさ、部屋作りならいいけど、廊下の配置にこき使われるってことはないでしょ。と思ってみると、「こき使われる」は亀山先生の意訳。

動詞はсвести。意味は「何かを何かに縮める、単純化する」。過去形・・・выходитと絡めるとなかなか難しい。

結局、フーリエの言う共同宿舎のレンガ積みや廊下と部屋の配分のほかに何もなかったということになる。

ま、ちょおっとニュアンス違うけど、うーむ、思いつかないのでねえ・・・「こき使われる」も、まったく違う話だけど、わかりやすいからなあ。ただ、立場の揺れが論理の展開の邪魔にならなければ・・・というのは・・・

ラズミーヒンが「・・・ってわけ」を連発してるんだけど、これ、説明してますですよう、って意味だべ。最初のうちは社会主義者の見解を説明して、「ってわけ」って言ってたのが、反対の立場になっても、「ってわけ」なんだな、ま、いいけど、読者として注意が必要なのが、今取り上げた個所の直後、

49 共同宿舎はできました、だけど、宿舎にはいるきみらの本性は準備中です、生活はしたい、でも生活のプロセスはまだ未完成なので、お墓に入るにはまだ早いです、ってわけでね!(亀山訳154ページ)

この亀山訳、誰が誰に「きみら」と言ってるのか、おいらにはさっぱりわからない。「生活はしたい、でも生活のプロセスはまだ未完成」ということは、プロセスが完成したら、生活できる、「準備中」という言葉と相まって、共同宿舎での生活ができる、と、考えられる。その一方で「お墓」と言っている。わからん。

「お墓」と呼ぶからには、ラズミーヒンが「彼ら」に対して「きみら」と言う形をとってるんじゃないの? 彼らの「見解」と「本性」の分離をついているってわけ。それで、この文に続くのが、「論理だけつかって、本性を飛びこしていくわけにはいかないよ!」となるってわけ。そういう目で見ると、「準備中」というのは、いつか準備できるようで好ましくない。「生活はしたい」以下はすべて「本性」の求めること。従って、「でも」はだめ。そして、「・・・ってわけでね」じゃあない! ラズミーヒンが直言する形をとってるんだから。 

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2010年8月20日 (金)

罪と罰第3部(14)

43 ポルフィリーの家で

「なら、せめてお茶くらい出せよ! のどがからからだぜ!」ラズミーヒンがそうどなった。
「そいつはけっこう! じゃ、ぜひみなさんで仲良くやりましょうか。でも、どうです・・・・・・お茶のまえに、もうちょっと大事なことを話しませんか?」
「早くしろ!」
ポルフィーリーが、お茶をいいつけに出ていった。(亀山訳148ページ)

「もうちょっと大事なことを話しませんか」と言われて、どうしてラスコーリニコフが『大事なこと』って何だろうと考えないのかと思ったら、ポルフィーリー、ラズミーヒンに言ってるんじゃないですか。

А не хочешь ли... посущественнее, перед чаем-то?

А не хочешь лиだから、相手はラズミーヒン。しかも、話をしたくないかいって、「のどがからから」という相手に。これは悪い冗談ってことかな? それにしては「早くしろ!」という反応はいまひとつおもしろくない。

посущественнее・・・поは、「ちょっと」。語尾は比較級ということ。つまり、何かよりもちょっとсущественныйをお望みではござらぬか、ですね。亀山訳は、その何かを、今までの話ととらえた?

посущественнееで検索してみると、次のような文章があった。

В считанные минуты, а главное - где угодно, хоть в лесу, хоть электричке, можно будет согреть стакан воды для чая, кофе или чего-нибудь посущественнее

これ、要はお湯をわかすんだ。お茶か、コーヒーか、なにかпосущественнееなもののために。
ほかにも、クワスよりも何かпосущественнеなものとか、りんごかあるいはもっとпосущественнеなものとか、そんな例もあった。そういう言い方をするってこと。существенныйの「本質的な、重要な」という意味にあまりこだわらなくてよさそう。

というわけで、ポルフィーリーが言うのは、お茶よりもпосущественнеなものだと考えるのが普通でしょうか。さて、それが何を意味するのか、だけど・・・江川訳をみてみますか

ところで、お茶の前に、もうちょっと実質的なものはどうだろう?(江川訳)

「ところで」とはまた・・。ま、いいか。ふむ、実質的なもの。食べ物、ですかね。それでいいのかな。でも、例からすると、ビールかなんかでもよさそうな気がする。ラズミーヒン一人の希望を聞いていることもあるし。要するに、お茶の前にがつんとくるもの、だな。そうは訳せないか・・・思い切って、お茶の前に別の物を飲みたくないか、かな。

44 ラスコーリニコフの考えから

これがたんなる蜃気楼で、ぜんぶおれの勘ちがいで、不慣れなせいでかっかし、自分の卑劣な役割に耐えられないだけだとしたら?(亀山訳149ページ)

任に堪えないという言葉はあるけど、役割に耐えられないってのは・・・耐えられないことだよね。なんか日本語がわからなくなっちゃったけど・・・

自分の卑劣な役割に耐えられないのところ、原文は подло й роли моей не выдерживаю

выдерживать рольとは辞書によると、не отступать от принятой на себя роли, мастерски играть рольだそうで、だとすると、ここのподло й роли моей не выдерживаюは、「卑劣な役回りをうまく演じられない」となりそう。

45 その少し先

部屋の件を知ってるのか? こうなりゃ、早いほうがいい!・・・・・・昨日おれが部屋を借りに逃げだしたって言ったとき、やつは気にもとめず受けながしたな・・・・・・部屋のことを持ちだしたのはよかった、あとで使えそうだ!(亀山訳150ページ)

「こうなりゃ、早いほうがいい」とは、何が早いほうがいいんだ? ラスコーリニコフに予定した行動はないから・・・何らかの決着が早いほうがいい? それは「こうなりゃ」でなくとも・・・

Поскорей бы уж!
早くそれを知らなくちゃ!(中村訳)
いっそ早いところ片をつけてくれ!(江川訳)
こうなりゃ、早いほうがいい!(亀山訳)

「・・・・・・」のあともポルフィーリーの「部屋」に対する反応のことを考えているのだから、中村訳の線がいいとわたくしは思うのですが。

それから、「部屋のことを持ちだしたのはよかった。あとで使えそうだ!」。それは意図的ではなく、結果としてよかったという感じ。実際、そうかもしれないが、ラスコーリニコフの気分はそうじゃなさそう。ловко про квартиру ввернулと書いてある。巧みに部屋のことをさしはさんだってところかな。だから、「部屋のことを持ちだしたのはうまかった。あとで使えるからな」としたいなあ。

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2010年8月13日 (金)

罪と罰第3部(13)

もの思わしげな人たち・・・

物思いとは : あれこれと考えること。また、思いわずらうこと。・・・そう、思いわずらうってところがミソ。あんまりプラス思考に使わない。同様に、
物思わしい : 物思いをするようすである。気がかりがあってふさぎこんでいる。・・・物思わしげというと、どうも憂鬱そうな感じ、だなあ。

というわけで、物思わしげっていうと、なんか意味ありげで結構でやんすが、しかし、ここでひとつ、物思わしげな人たちに疑問を呈してみやしょう。というのは、物思わしげと訳されることのあるвдумчивыйという単語があるんざんすが、ある辞書では、способный сосредоточенно мыслить, глубоко вникающий во что-лとある。ウシャコフさんの辞書では、 склонный вдумываться, глубоко вникать, сосредоточенно мыслить、ダーリさんの辞書では、кто может вдумываться во что, склонен вдумываться, вникать мыслию, постигать умомとある。露英では、1 serious,profound;2 thoughtful,penetrating。してみると・・・してみるとですよ、そりゃもう、物思いがちな、でもいいけど、どちらかといえば、考え深いとか、思慮深いのほうが勝ちなんじゃないかなあとね、思うわけで・・・第一に、そういう人の性質を表し、第二に、ある場合に、そのように見えるということ。このような単語の意味の端っこに物思わしげな、がひっかかっているかどうか? 物思わしげなでよければ、たとえば、深刻なだってよかろ?

ところがですよ、わてのみるところ、たとえば亀山訳ののドストエフスキーには、вдумчивый、物思わしげな人たちはやたらとたくさん出てくるのに、思慮深い人なんぞは滅多に出てくるもんじゃない。そりゃ、かまわんです、登場人物がそういう人たちなんだからって言われればそれまでだあ。物思わしげ万歳だあ。しかし、ドストエフスキーが、常に偏った意味合いで使ってるならともかく、そうでないとすると、物思わしげな顔のいくつか(全部と言いたいところをぐっとこらえて)は、考え深げかもしれまへんでえ。まあ、そういうわけでね、物思わしげがほんとうに物思わしげかどうか、考えようという企画。

そこで・・・まず『カラマーゾフの兄弟』からみてみませう。いずれもвдумчивоの形。 

「むろんゾシマ殿は、あの修道院ではいちばんまっとうな坊さんだがね」無言のまま何か考えるような顔つきでアリョーシャの話を聞き終えると、父親はそう言った。(第1編4。亀山訳1巻58ページ)

вдумчиво ; 何か考えるような顔つきで。これは本線の意味に近い。ちなみに、米川訳は「何か考え込むような顔つきで」、原訳は「考え深げに」。まあ、なんですよ、フョードルさんが物思わしげということはなかろうってんで、こうなるってこともあるかな。と、逆に「物思わしげ」のイメージもはっきりする。ってなところで、これは小手調べ・・・厳密に言うと、「何か考えるような顔つきで」と「考え深げに」はちゃうけど、よしとしますか。

次は第7編の3。

ねえ、いい、アリョーシャ、わたしね、ずっと、考えていたの、例の一昨日のことで、そう、あのお嬢さんのことで、わたしのこときっと怒ってるだろうなって。わたし、まるで犬だったわ、ほんとうにそう・・・・・・でもね、ああなって、結局はよかったのよ、よくないことでも、やっぱりあれでよかったの」もの思わしげにグルーシェニカはふっと笑みをこぼしたが、その笑みになにかしら、残忍な影がちらりと横切った。『亀山訳3巻71ページ)

さあ、「もの思わしげに」でございますよ。米川訳は「物思わしげに薄笑いを浮べたが」、原訳は「考えこむように薄笑いをうかべたが」。「もの思わしげな笑みに残忍な影」とはずいぶん複雑なお顔をなさるものですが、そんなことを言ってもはじまらん。ふむ、前後の話(グルーシェニカはこの後も「お嬢さん」についてしゃべっている―「ミーチャが言ってたわ、『あんな女、、鞭でひっぱたいてやる』とか叫んだって・・・」)、残忍な影・・・グルーシェニカが「お嬢さん」とのこと、いや、「お嬢さん」のことを考えながら笑みをもらしたのは明らか。しかるに、グルーシェニカにとってこの時点で「お嬢さん」はただの高慢ちきなお嬢さんであってライバルでもなんでもない。ならば、もの思わしげになる理由はまったくない。

しかし、原訳の「考えこむように薄笑い」も少し変。そもそも「薄笑い」ってのはあまりいい感じじゃないけど、なぜ米川さん、原さんがそう訳したかというと、後半のほう、亀山訳で言うと「その笑みにはなにかしら」の「笑み」はусмешкаという語で、薄笑いとしたくなるような、皮肉、からかいの気分がある場合が多い。もっとも、それは口元のちょっとした動きによる笑みであって、考えこむような薄笑い(時間のスパンがありそう)ではない。

じゃあ、どうなんだといわれると困るけど、「何か考えるところのある笑み」かなあ。

もうひとつ、グルーシェニカ。

あなたが決めてくれたとおりにする、ねえ、あの人を許すべき? それとも、許すべきじゃない?」
「だって、もう許しているでしょう」微笑みながらアリョーシャは言った。
「じゃあ、すっかり許してるってことね」物思わしげにグルーシェニカが答えた。(亀山訳3巻89ページ)

米川訳は「物思わしげにいった」、原訳は「考えこむように言った」。これはどちらでもあてはめて解釈できるので・・・

次は8編の5。ミーチャがペルホーチンのところで紙に何か書いてポケットにしまったところ。

ピストルはケースに納め、鍵をかけてからケースを手にとった。それからペルホーチンを見て、ゆっくりと物思わしげに含み笑いをもらした。(亀山訳3巻215ページ)

米川訳「物思わしげな微笑を浮べた」、原訳「考え深げな長い微笑をうかべた」。どうかな、「物思わしげ」がピッタリだという考え方もあれば、「そのこと」に関して、ミーチャは物思わしい気分ではないという考え方もあろう。ここだけで判断はできない。

続いて、狆に目をとめたミーチャ、

「これと同じような犬をいちど見たことがあるんです・・・・・・連隊にいたときですが」と感慨深げにミーチャが言った。「ただ、あの犬は後ろ足を怪我していたなあ(亀山訳3巻227ページ)

米川訳「物案じ顔に」、原訳「考えこむように」。さすがに、犬を思い出しながら「物思わしげ」は変っていうことかな。しかし、残念ながらвдумчивыйに「感慨深げ」という意味はないでしょう。物思わしげでもぎりぎりセーフかどうかだから・・・しかし、原先生の剛直ぶりはなかなかだな。王道を行く、かな、融通がきかないこともあるけど・・・「考えこむように」がいいかどうかは、犬の話をしながらミーチャが犬のことを考えているかどうかにもよる。

しかし、ここに至って、вдумчивоは「考えながら」の意味で使われている場合がある可能性を感じないわけにいかないなあ。その考えはちと深いんだけれども、日本語訳では深さにふれないほうがいいような・・・

次は8編の6。

「それでは、そろそろ、証人尋問に移らなくてはなりません」予審判事は、ドミートリーの問いに答えるかのようにきっぱりと言い放った。
「そうですな」と検事が、やはりなにか思案にくれている様子で、もの思わしげに相槌をうった。(亀山訳3巻438ページ)

米川訳「やはり何か思いめぐらしている様子で、検事は考えぶかそうにいった」、原訳「やはり何事か思案するように、考え顔でい言った」。

亀山訳はちとまずい。というのは・・・「やはり」が何かということ。тожеが「やはり」と訳されているんだけど、日本語訳からは何が「やはり」なのかよくわからんでげす。まあ、それはしょうがないんだろうけど、考えてみるに・・・まずは、予審判事の「ドミートリーの問いに答えるかのように」(как бы в ответ на вопрос)だ。答えるかのように、であって、実際には答えるのではなく、自分たちの当然の手順を言ったにすぎないということ。検事もそれに調子を合わせて、「やはり、なにか思いめぐらすようにして」( тоже как бы что-то соображая)言ったのだろう。だから、思案に暮れてはまずい。それに、気がかりなことなどないので、ここは「もの思わしげ」はふさわしくない。本来の意味、「思慮深げに」で間違いなし。

ってなわけで、米川さん、亀山さんは「物思わしげ」がお好きだ。それは、「物思わしげ」としとけば何となく雰囲気が出るからだろう。しかし、それはвдумчивоの本線の意味からははずれていそうだし、個々にみても「物思わしげに」必然性があるようには思えない。少なくとも怪しい場合があるといってもいいんじゃないかな。さて、そこで、さっぱりしない話が長くなりすぎちゃったけど、やっと、『罪と罰』・・・第3部の4。スヴィドリガイロフについて。

42. Глаза его были голубые и смотрели холодно, пристально и вдумчиво

瞳は水色で、目つきは冷淡でするどく、もの思わしげだった。(亀山訳127ページ)

中村白葉訳は「冷たく、(じっと)もの思わしげ」、江川訳は「(冷たい感じに見え、)考えごとでもしているように(すわっていた)」。

この場合、初登場の人物を紹介している形だから、何の前提条件も、文脈がどうとかもないわけで、従って、вдумчивыйの主たる意味として訳されるべきだ。ということは、中村さん、亀山さんは「もの思わしげ」が本線の意味と思ってらっしゃるわけだ。ほんまかいな。再三言うように、わては、「思慮深い」だと思う。ここで某辞書の用例をあげると、вдумчивый читатель, исследователь。これを、「もの思わしげな読者(朗読者)」、「もの思わしげな捜査官」と訳しちゃあかんだろう?

пристальноは、じっと見つめる、注視する、ときに使う。「するどい」がいいかどうか・・・しかし、冷淡に注視する目がもの思わしげとは、いくら小説とはいえ、盛り込みすぎじゃあないのか。それから、江川さん、すわっている目って、考えごとをしている風ですかね・・・

上にあげた辞書には、Свойственный такому человеку(そういう人、つまり、思慮深い人に特有の)という意味の用例として、вдумчивый взглядが載っている。セットて使われることが多いのだろう。思慮深い目つき。あるいは、洞察力のある目。これこそ「するどい」に近いんじゃないんだろうかねえ。

なんか、うまく説明できなかったかなあ・・・

  

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2010年8月 8日 (日)

罪と罰第3部(12)

40 第3部の5 ポルフィーリーを訪ねたところ。

ポルフィーリーは、客が自分に『ちょっとした用』があると聞くと、すぐにソファをすすめた。そして自分は、もう一方の端に腰をおろし、客の顔にじっと視線をそそぎながら、じりじりする思いで用件が切りだされるのを待ちうけた。その態度には、はなから相手を固くさせ、どぎまぎさせてしまいかねない、どこかはりつめた、あまりにまじめすぎる何かがあった。とりわけ初対面の場合や、それにまた相手が、これから話そうとする用件にこれほど重大な関心をもってもらうにはおよばない、と感じている場合などは、なおさらそうだった。(亀山訳139ページ)

場の空気が大事なので、長々引用させてもらいました。とりわけ大事なのは、『とりわけ初対面の場合や』だ。すなわち、この空気には、ポルフィーリーとラスコーリニコフの特殊な関係(互いに事件のことを意識していること)は関係なく、一般化できる状況だということ。ラスコーリニコフが「そんなに重要な話じゃないんだけど」と思うようなポルフィーリーの態度だということ。亀山訳はそれを逸脱した、『はりつめた』ものを感じさせるのである。初読の人と違ってその後の展開が頭に入っているがために、逆に話にのまれているのではないだろうか。まず、

сам уселся на другом конце и уставился в гостя, в немедленном ожидании изложения дела

自身も一方の端に掛け、相手の説明を気ぜわしく待ちながら、(中村白葉訳)
自分はもう一方の端にすわりこんで、じっと相手の顔を見すえながら、いまや遅しとばかり、用件の説明を待ちうけた。(江川訳)
そして自分は、もう一方の端に腰をおろし、客の顔にじっと視線をそそぎながら、じりじりする思いで用件が切りだされるのを待ちうけた。(亀山訳)

в ожиданииとは、待っている状態にあるということ。немедленномは、遅滞ない、すばやい。従って、ただちに、急いで待つ姿勢をとったということ。じりじりする思いをしているかどうかは読者の解釈次第だが、おそらく、じりじりなんかしてないだろうし、それにこの際、そんなことは余計だ。これは、用件を切り出そうとする者にプレッシャーのかかるような一連の態度のひとつだ。何よりも相手の用件を大事にしますよというしるしだ。すばやく、さあどうぞという顔をしてみせたということ。じりじりなんかしては、話がまったく違っちゃう。(そもそも、ポルフィーリーの内心はなるべく暗示的である方がよろし。)

ちなみに、このポルフィーリーの様子は、 как только услышал「(用があると)聞くやいなや」、 тотчас же попросил его сесть на диван「すぐにソファをすすめた」と、くどいほど強調されている。

で、と・・・「急いで待つ姿勢をとった」というような訳がいけなければ、「 自分ももう一方の端に急いで腰をおろし」というふうにすべきかな。

中村訳、「気ぜわしい」には違いないが、「気ぜわしく待ちながら」はだめ。江川訳、「いまや遅しとばかりに」も、ポルフィーリーの気分を表しちゃうからだめかな。

つづいて:

с тем усиленным и уж слишком серьезным вниманием, которое даже тяготит и смущает с первого раза

きわめて熱心な、あまりにまじめすぎるくらいの注意をもって、(客の顔を凝視した。)こうした注意は、(とくに初対面の間柄では、)相手の心持ちを重苦しくして混乱させるものであるが(中村訳)
その態度には、のっけから相手の気を重くして、当惑させてしまいかねない何かがあった(江川訳。前半訳し落とし?)
その態度には、はなから相手を固くさせ、どぎまぎさせてしまいかねない、どこかはりつめた、あまりにまじめすぎる何かがあった。(亀山訳)

с тем усиленным и・・・ のтемは指示代名詞でしょう? 何をさしているかといえば、どうやらその少し前の、「そのまなざしは、どこか女っぽいところのある彼の容姿と、どこか妙に釣りあわず、ひとめ見たときに受ける印象よりも、はるかに真剣な何か(нечто гораздо более серьезное)をその風貌に添えていた」のところらしい。つまり、「その」、持ち前のまなざしで、「客の顔にじっと視線をそそ」いだ、ということ。亀山さんは、серьезныйを、真剣な、まじめすぎると訳し分けているが、ドストエフスキーとしては、ほらほら、今言ったあれですよという感じだろうから、統一したほうがいいんじゃないかな。とにかく、それはこの場に特別のものではなく、ラスコーリニコフも格別意識していない。とすると、ピリピリしたラスコーリニコフの神経に作用しそうな「はりつめた何か」はまずいんじゃないかな。「何か」ではなくвниманием(注意、関心)と書いてあることだし。усиленным вниманиемをはりつめたと訳すことはあるにしても、この場合は「多大な注意」でしょう。

その注意深い、あまりにも真剣な面持ちは、とりわけ初対面の場合や、相手が、自分の話そうとしていることはそんなに関心を持ってもらうほど重要なものではないと思っている場合には、話を切り出そうにも負担と当惑を感じさせるものだった。

тяготитは相手の重荷になるという意味だが、ここでは、気を重くするというよりは、恐縮させるということでしょう。固くなるかどうかは?・・・
たいしたことない話を長々書いてしまいました。

41 ラスコーリニコフの用件を聞いたポルフィーリー:

「警察に届けを出さなくちゃいけませんね」ポルフィーリーは、いかにも事務的な口調で言った。「これこれの事件、つまり、例の殺人事件について知りましたといって、あなたのほうから頼むんです、事件を担当している予審判事に対し、これこれの品物は自分のものである、よって、それを請け出したい旨、お伝えくださいとね・・・それとも向こうで・・・しかし、まあ、あちらがちゃんと書いてくれますよ」(亀山訳140ページ)

ラスコーリニコフのほうから届けを出すにきまってるんだから、「あなたのほうから頼むんです」とは、ポルフィーリーさん、おっしゃらんでがしょ。 「しかしあちらがちゃんと書いてくれますよ」と言っているように、届けの文面を教えてくれてるわけだから、その一部を分離して直接話法にするのはちと無理がありそう。なお、в свою очередьは江川訳にあるように「自分としては」の意味。

私としましては、これこれの品物は自分のものですので、請け出したく、その旨、担当の予審判事にお伝えくださいますよう、おねがいします。

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2010年8月 2日 (月)

罪と罰第3部(11)

36 引き続き3部の4。ラスコ-リニコフがばあさんのところに質を入れていたと聞いて喜んでいるラズミーヒン。

— Ну да, да, да, — торопливо и неизвестно чему поддакивал Разумихин
『うん、そうか、そうか、そうか。』となぜかラズミーヒンは、急いで幾度も相槌を打った。(中村訳177ページ)
「うん、そう、そう、そう」ラズミーヒンはなぜかしきりと、せきこんで相槌を打った(江川訳114ページ)
「うん、そうか、そうか、そうか」ラズミーヒンがあわてて、なぜかわからないまましきりにあいづちを打ってみせた。(亀山訳127ページ)

重箱の隅をつつくようですが、中村、江川訳と亀山訳は微妙に違う。前者の場合、相槌を打つのはなぜか、客観的にわからない、ということ。後者はラズミーヒン自身がなぜかわからない。さて、どちらが正しい?  неизвестно=わからずに、が相槌を打つを修飾しているのだから、亀山先生がセイカーイ!・・・ですか?

この場合、неизвестно чемуをひとまとめにして不特定の「なにかに」と考えるのはふさわしくなさそう。するってえと・・・чемуは相槌を打つ対象で、それがわからないのだから、何に相槌を打っているのかわからずに相槌を打っているんだな。気分が出てるような。そしてそれは「なぜかわからないまま」と微妙に違う。が、許容範囲かなあ・・・というのは、なかなか難しいもんでのう。たとえば、「やみくもに相槌を打つ」というのも、気分が伝わってないでしょう。

そういや、торопливоは、「急いで」なのか「せきこんで」なのか「あわてて」なのか? あわてる理由があるとすれば、ラスコーリニコフが「熱病(бреду)」と言ったから? 質に入れた品が気になるそぶりをしたから? いや、ラズミーヒンは自分の疑問が解けたことが何よりと言った様子。「きみはうなされて(в бреду)、指輪だとか、鎖だとか、ずっと口走ってた・・・うん、そうか、そうか」とご満悦。ラスコーリニコフの言葉はうわっつらしか耳に入っていない。「あわてて」ではなさそう。そこで:

「ラズミーヒンはやけにせきこみ、何に相槌を打っているのかもわからないありさまだった」。

37 その続き。ラズミーヒンが指輪のうわごとを気にしていたことがわかって、ラスコーリニコフは考える。

Вона! Эк ведь расползлась у них эта мысль!

おっと! ってことはやっぱり、あいつらみんな、あの考えが頭に引っかかってたってことだ!(亀山訳127ページ

расползтисьの主な意味は、散らばる、広がる、膨らむ。どうやら(頭に)「引っかかる」という意味ではなさそう。あの考えがあいつらの間に広まってたんだなってところ。

38 ・・・ちょっと戻ります。いくつかつまらないことが気になって。第3部の3。ラスコーリニコフがルージンの手紙を読んで妙なケチをつけたのに対し:

— Да ведь они и все так пишут, — отрывисто заметил Разумихин

「でも、連中はみんな、こういう書き方をするよ」ラズミーヒンがどぎまぎしながら言った。(亀山訳99ページ)

ラズミーヒンがどぎまぎしている可能性はあるにしても、どぎまぎとотрывистоとは、あんまり仲良くなさそう。『罪と罰』から二つ三つ使用例を。いずれも亀山訳で。

― Лихорадка, ― отвечал он отрывисто
「熱があるみたいで」と、吐きだすように答えた。(第1部の7)

или как будто кто-то тихо и отрывисто простонал и замолчал
というより、だれかが小声でするどく呻き声をもらし、そのまま絶句したような気配だった。(第1部の7)

Раскольников отвечал резко, отрывисто
ラスコーリニコフは、鋭い調子でぽつりぽつりと答えた。(第2部の1)

39 ルージンの手紙について、ラスコーリニコフ。

Там есть одно выражение: «пеняйте на себя», поставленное очень знаменательно и ясно

手紙にこういう表現があるだろう、『身から出た錆』って、すごく意味ありげに、はっきりとそう書いてある、(亀山訳100ページ)

この文を読んで変と感じるわてが変? もしそうなら聞き流してつかあさい。何が変って、「はっきりと」というのは字がはっきり書けているわけじゃなく、意味がはっきりしてるんでしょう? 一方、意味ありげというのははっきり書いてはいないけど・・・って感じでは?

これ、significant:重要な、significantly:意味ありげにって訳すのと似てる。え、似てない? とにかく、ここでзнаменательныйは重要なとか、特別な意味を持つとか、そんな感じ。副詞にしにくいから、「そこにある表現だが、『身から出た錆』と、きわめて重大なことがはっきりと書かれているじゃないか」でどうだろう・・・

余談だけど、『身から出た錆』というのは、亀山流で、あまり裁判所風じゃないような・・・

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