カラマーゾフ第11編 その9
年頭にあたり、決意のほどを・・・なんて、嘘ばっかり。いやいや・・・昨年は一年間、カラマーゾフの兄弟ばかりでした。お読みいただいた方々、ありがとうございます。シャーロック・ホームズ関係で何か期待なさった方、すみません。ジョイス関係は・・・わたくしには最初っから無理でございます。さて、しばらくはカラマーゾフの兄弟の話になろうかと思います。昨年は妙ないきがかりでああいうことになってしまいましたが、今年はしっかりと目的意識をもって・・・なんて、嘘ばっかり。いや、いや、昨年は一年間、たわけた調子に終始してしまいましたが、今年はまじめに、まじめに、まじぃめにいこうと思っております。
まじめじめじめ たたりめおちめ・・・トーサクだあ
トーサクとは タテマツルことなり・・・・・きみぃの なはと・・・なんてことは一切やめてですね、事実、事実といかなくっちゃ。では、さっそく、亀山訳『カラマーゾフの兄弟』4から。
233-4ページ
で、おれがいま不思議でならないのは、世間の連中、平気な面して生きていながら、このことについては何にも考えていないってことなんだ。むなしくないのかね!
Я удивляюсь теперь только тому, как люди там живут и об этом ничего не думают. Суета!
ひとはいさ 知らざるものは ほしからず
むなしくないかと いわれしも 思わざること・・・あしからず
「ながら」の使い方がビミョーン・ビミョーヌイチ ねえ、ナガラエフさん。ええ、うしとみしよぞ いまはこいしき とは申しますが・・・・・いや、本題は、これから、これからでございます。242ページ:
でも、そうなったら、さっきの地底賛歌はどうなる? アメリカが何だっていうんだ、アメリカだって、やっぱり人の世にすぎんじゃないか!
Ну, а гимн-то наш подземный где состоится? Америка что, Америка опять суета!
で、わたくしがいま不思議でならないのは、こんなに近接(8ページ)していて、しかもопять(また)という言葉をかぶせられていて、しかもこの長編のなかでおそらくたった二度しか使われていないсуетаという言葉に違う訳語が当てられていることでぐぁんす。似たような意味合いのことが述べられているべきと思うんですけどぉ。
むろん、人の世→むなしい は、容易に到達しうる概念だというご意見もござんしょうが、それは意味をご存知の訳者さんの立場でおっしゃること、読者としては、まあ、人それぞれですか。суетаは、空虚な、つまらない、価値のないこと;日常のやっさもっさ;ごたごた;空騒ぎ;・・・人の世、というのは、なかなかひねり出したもんでごわすが。それに「すぎんじゃないか」は調子なんでしょうが、ますます思わせぶり。
じゃあ、米川さん、原さんはどうかな。
米川:空なことにあくせくしてるんだ!→アメリカもやはり俗な娑婆世界だ!(岩波文庫69ページ、75ページ)
原:むなしいもんさ!→アメリカだってやっぱり浮世じゃないか!(新潮文庫213ページ、220ページ)
おや、みなさん、世の中でげしたか。へえ。米川さんは、いくぶん平仄があってますね。だからいいってわけじゃないけど。しかし、浮世はいけないなあ。どういう発想なんでしょう。では、人の世は・・・・・
善行とは何ぞや(233ページ参照)、はたしてスブタでよいのだろうか・・・
要するに、世間の連中はそんなことを考えていない、アメリカもまたそういうところだ、という意味に取れる訳文であることのほうが重要だとわたくしは思うのでございます。それにはどうするか? あの場所とこの場所が同じことを述べているとはっきりわかる、単純明快な訳語をсуетаに当てるべきでアールの二乗。意味そのものより、суетаの果たしている役割が大事、かなあ。
たいした話じゃあござんせんが、ま、新年早々でございますし、この辺でお茶を・・・いや、次からまじめ、次からまじめでございます。
関係のない話ですが、今年は時間を見つけて(あるかなあ)シャーロック・ホームズものを再開したいとも思っています。しかしねえ、プロジェクト杉田玄白に登録して、断りなしに煮るなり焼くなり好きにしてくれえと書きましたよ、書きましたけれどもね、まさか本当に商売に使う人がいるとは思わなんだ。世の中、よくわからん・・・お恥ずかしいものを公開したばかが悪いには悪いんだけど・・・
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