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2008年8月23日 (土)

ここらでまとめが必要ですかあ、てか

間があきましたが・・・別に忙しいわけじゃないんで。次の方向が定まらないんでね。ひとつ、区切りの文を、とかね。

すなわち、あらゆる翻訳は語や句である、といったような、たわだけた一文もよし、翻訳に誤訳は憑き物である、といったような、夏の夜を寒々とさせる(時機を失した)一文もよし、ロシア文学界の現状に他人事、といったような、無理して牛乳飲んでるような一文もよし。
半年以上、ひとつのことに集中したら、まあ、よほどの馬鹿でない限り、それについて、何か無益な文章のひとつやふたつ書けるところではありましょうが。へっへー、どうやらわたくしめ、そのよほどの馬鹿らしゅうござる。えらい!
ふん、ここまでのブログを見りゃわかることだ。だいたい、まとめもなにも、本人がわからないんだから、どこへ行くのか・・・・・

雁が鳴いて南の空へ飛んでいかあ、かあ、かあ・・・・・鴉じゃねえかい・・・・・ふ、ふ、ふ、それは雁の姿・・・・・しかしてその実体は・・・・・七つの子を持つ・・・・・

亀山訳と原文をつきあわせただけだからね。それも木を見て森を見ないようなやり方で。多少、木に詳しくなったにしても、森の評価はできやせん。それに、亀山先生の意図するところ、音楽の流れる森、らしいですよ()。

おふくろさんよ おふくろさん 空を見上げりゃ

なんだか書きづらいのは、誰のせいかは・・・知らないけれど 誰もがみんな 知っている 激昂仮面の・・・・・元結。もとゆいと読んじまっちゃあいけねえよ、なあ、Aさん・・・・・
・・・・・・・知らないけれど、いまさら誤訳がどうのというのも、恥ずかしいような雰囲気だからではありますが、とはいえ、このわたくしとて、ひとつアラ探しをしてやろうという、いやしい、いやしーい根性から出発しているわけだから、やはり誤訳について他人事しなくてはならんでがしょ。

すなわち、誤訳にもいろいろあって、それぞれみんな特殊な事情を抱えていて、誰の目にも明白な、絶対的な正解があるとは限らない、というか、そんなことはめったにないくらいで、・・・えーい、煮えきらないやっちゃ。何が言いたいんじゃ。だ、だからね、どれが正しくて、どれが正しくないのか、判定する資格は誰にあるわけ?
あたくしは、誰にそれができるのか、わかりません。そんな人を見つけるのはスメルジャコフの山を動かす人を探すより難しい、というか・・・
だいたいねえ、ドストエフスキーなんて、縦から横から斜めからつつき尽くされて、もうほとんど調べるところも残されていないにちがいない、なんてね、あたくしどもしろうと、思っているところがございましたが、実はよくわからんところがいっぱいなのではござんせんか・・・既訳が正しいかどうかなんてほとんど調べがついてないにちがいない。

たとえばあなたが恋んを

失礼、意味なし。どうして我慢できないかねえ。

ひとつ例をとってみますかぁ。例によって、例の検証から(ドストエーフスキイの会の検証。新訳とは亀山訳。コメントとはNNさんという方のコメント。詳しいことはこちらを)最初のところをそのまま引用させてもらいましょう・・・徒な期待を抱かないでね。

テキスト:<...> Бедняжка оказалась в Петербурге, куда перебралась с своим семинаристом и где беззаветно пустилась в самую полную эмансипацию. <...>

新訳22p <...> 哀れな妻はペテルブルグにいて、神学校出の教師ともども首都に流れついてから、なんの気がねも無用とばかりに完全に自由な生活にひたった。<...>

コメント 露文和訳試験の回答としてなら、この訳文も間違いではない。しかし、当時のロシアの時代背景、この作品の文脈―「いまいちどペテルブルグに飛び出してって、ネヴァ川のほとりでロシア女性の権利を見つけ出す」(新訳第二巻126p)、「じつはわたし、現代の女性問題にまんざら縁がないわけでもないんですの、ドミートリーさん。女性の進出と近い将来における女性の政治参加、それこそがわたしの理想なんです」(新訳第三巻174~175p)……etc.―、更に件の章そのものの文脈―「持参金つきのうえに器量よし、おまけに利発な才女であるお嬢さんが(今の世代ではめずらしくないが、その昔にもすでに姿を現していた)<…>彼女にしてみれば、たぶん女性の自立を宣言し、社会的な制約や、親戚、家族の横暴に反旗をひるがえしたかったのだろう」(新訳第一巻17~18p)―に照らすと、これでは不十分だ。現代ロシア語では“эмансипация エマンスィパーツィヤ(解放)”だけで、“женщин ジェンシン(女性の)”という形容が後ろに付かなくても、“婦人解放”を意味するが、19世紀も'60年以降は既に“эмансипация エマンスィパーツィヤ”だけで“婦人解放”乃至“女権拡論”を意味していたのである。

米川正夫訳「完全なる女性解放(エマンシぺーション)の気質に耽溺していた」
原卓也訳「完全な解放感にひたっていたのだった」
江川卓訳「そこでだれはばかることなく、文字どおりの女性解放を実践していた」

えー、ロシア語で『解放』にあたる、ある一つの言葉が、今では普通、『女性解放』を意味し、それは1860年代からそうであったというのが事実としても、訳語は訳文全体の調和を考えて採用すべきであり、「意味していたのである」じゃ、どもならんと思うのよね。うっひ、われながら陳腐な出だし。期待が持てるぞ、これは。
だいいちね、なんですか、エマ、エマ・・・なつがくーればおもいだすー・・・そんなもん、あたくしはなんだか知らんけど、亀山センセは十分ご承知でしょう。(とはいえ、ひとまず、それは『女性解放』を示唆していることにしておきましょう。ただ、『婦人』はどうもね)。そこで・・・
(NNさんの)コメントには訳例がない。ということは、意味は亀山訳でいいってことかな。親亀の背中に・・・ナンセンス!アプローチが違うんだから。不十分ってな話じゃおまへん。
あるいは、『婦人解放』ないし『女権拡張』という言葉さえ使われていれば内容はどうでもいいのかな。ま、そうはおっしゃらんでしょうね。では、米川、原、江川訳のどれでもいいってことか?そうもおっしゃらんでしょう。三人三様。全然意味が違うjから。しかも原訳は亀山派。NNさんのお好み、木下先生のお好みがどれかは想像がつきますが、しかし、コメントでそれに触れてらっしゃらないのだから、ムニャムニャ。まあ、あの方々に何かものを言ってもはじまらない・・・

『女性解放』は、NNさんの表現をお借りすれば、この章の文脈からすると、皮肉をこめてある種の状態を表しているんだろうなあ(『女性解放』という訳語を採用するならそれとわかったほうがいいなあ)。決して実際に女性解放運動をしているわけではない(そんな可能性を考えたのはあたしだけのよう。馬鹿ね 馬鹿 馬鹿)。
それで・・・『女性解放』ならなんでもいいってわけにはいかない。なぜならсамую полную がついてるからだ。女性解放が大事なら、修飾語も大事だ。そこに、何かが示されているにちがいない・・・

まず、その前に、『文字どおりの女性解放を実践』できるのだろうか。管理人の娘、リリーの足が文字どおり棒になるのとはわけが違う。当時、女性解放は提唱されてはいたものの・・・アデライーダは法的、社会的に解放されてはいない。比喩的に女性解放を実践していた、はずだ・・・えーい、われながらくだらん・・・うむむ、文字どおり、女の性を解放する、と読めってのかな・・・そりゃいいや。ありていに言えばそうゆうこったろう。いや、それにちがいない。ばかあ!

いや、結構、『文字どおりの女性解放を実践』で結構ですよ(たぶんсамую полную эмансипациюの真意からは離れていると思うけど)。それも一つの訳し方だ。ただね、なんだか前向きに闊歩しているのを肯定しているような、フョードルとの駆け落ちを女性の自立と勘違いしたのとは違って、正真正銘の女性解放のような・・・謎解き好きの江川さんらしく、原文をいかし、謎を残したかったんでしょうか・・・でも、米川さんも、原さんも、亀山さんも、それでは不十分だ、とお思いでしょうね。

さむぅいともぉだぁちぃが・・・

самуюというからにはたんなる『完全』じゃないってこった。最たるもの。
全般的になんの抑制もなく好き勝手をするというのが一つの解釈。
しかし、ある特殊な、極端な、一つの状態、あるいは行為を示唆しているという気もするのだが。

すなわち、哀れ彼女は娼婦・・・みたいな派手な結論に導くことができればいいのだが、レベジャートニコフじゃあるまいし、それが女性のあるべきもっともノーマルな状態、とはねえ・・・ま、テレービエワの「自由結婚します」ぐらいのところにしときますか。

いやね、それよりね、あたしには、この女性に勝手気ままに暮らす余裕が感じられないのですがねえ。ペテルブルグにご一緒したのが貧乏で死にかけていた教師でしょ、そいでご自分もすぐにどこかの屋根裏でチフスだか飢えだかでおっちんじゃった。解放感にひたっていられたのかなあ。耽溺していられたんでしょうか。

去年の暮れにこの部分を取り上げた時には、『哀れ』とбеззаветноに注目してあえなく撃沈・・・あの時はбеззаветноはсамоотверженно(私心なく)と辞書にあったので、『身をなげうって女性解放へ』というような馬鹿な思いつきを披露してしまいましたが、いや、ほんと馬鹿だわ。シロートさんだからね、まるっきりはずれと言うのも可哀想だけど、『女性解放』の意味するところをとらえていないのでね。

では、беззаветноはなんだ?заветныйは、大事なとか、心に秘めたとか。そんな意味のようですが。大事な夢、秘めたる望み、秘密のお宝。それで、беззаветноは隠す気がないから、だれはばかることなく、ですか。ふうん。やっぱりなんとなく釈然としないなあ。はなっからはばかるってえたまかいや。

大事に守るべきものなどない、それは世間様に対して気兼ねすべきものがないのではなく、彼女自身のうちにそんなものが存在しないことを示しているのではないか。
あたしのようないじけたひねくれもんはそこに自棄的な気分を感じてしまうのね。名を成す方々はさすが、全然そんなものを感じてらっしゃらないようですが・・・
ともかく、беззаветныйはヒロイックなことだと思います。
教師にсвоим семинаристомとсвоимがついているのは、自己責任って感じ?
つまりね、結局ね、彼女としては、敢然として自らを解放したけれども、そこには悲壮感が漂っていて、傍から見れば破滅に向かってるんだな。
だってさ、Бедняжка、哀れな女、だからねえ。

解放感にひたっている?とんでもない!だれはばかることなく実践している?だれのことやねん、そりゃ?・・・・・
全員却下!出直していらっしゃーい!

へへ、ってなことになっちまいましたが・・・そんなつもりで始めたんじゃなかったんだけど。ま、しょうがないやね。といっても、誰のために何がしょうがないのかもわからんが。
へ、実害はあるまい。誰も出直しゃしないんだから。でも、なんだか当たってるような気がするなあ。いや、誰も賛同してくれなくってもかまわんけど。

あれ、それでなんだっけ、目的は?過去の翻訳に調べがついてるかどうか?そんなもん一箇所取り上げたって仕方ないじゃん。でも、ああいうものの先頭の一箇所だから。それにこういうところは多数ありそう。まあいいや、皆さんそれぞれでお考えください。今日はくたびれやした。

あーあ、なんだか突然ポッキリのようですんまへんが、えへ、悪いものを見てしまいまして。やめときゃぁいいのに怖いもの見たさなのかなあ。とにかく、ありゃだめだわ。勝手にやってくれ、だな。

えー、それで今後このブログをどうするかですぐぁ。
フン、ひとに訊いたってしかたがない。誰も答えやしない。

白い花が散るばかり

またにしましょう。

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