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2008年8月29日 (金)

あれこれ

世の中、いろいろございます。たいがいはどうでもいいことです。大きなことがあると吹っ飛んでしまいます。それでも・・・

というわけで、どうでもいいことから。瑣末でげす。わての勘違いかも・・・

・・・・・小杉荒太の方は鈍感です」
「鈍感でしょうか、あの人」
清子は言ったが、すぐ自分の言葉に気附いて、
「勿論その人知りませんけど」
と言った。箕原は清子の方へ顔を向けると、
「その人を知ってらっしゃるんではないですか?」
と訊いた。(井上靖『ある落日』より)

『あの人』と言ったら、普通知ってる人なんですね。でなきゃ、見えてるけど離れてる。そこで、

「おまけにあのときは、屋根裏部屋から落っこちたんだろう?」(亀山訳『カラマーゾフの兄弟2』314ページ)

イワンがスメルジャコフに前に癲癇を起こした時の事を聞いているんですが・・・あれ、イワンはその時その場にいたのかしら、と、ちょっとね。訳に特別工夫を凝らすべき箇所でもなさそうだし・・・ま、どうでもいいか。そこで、もうひとつ・・・

「馬鹿げてるなんてもんじゃない。もっとひどいよ」トゥルドリュボフが無邪気に俺を擁護するつもりで呟いた。「君は寛大すぎるよ。本当に失礼な話だ。もちろん、わざとじゃないんだが。それにしても、どうしてシモノフは・・・・・ふむ!」
「僕があんな仕打ちを受けたら」と。フェルフィチキンが言った。「僕なら・・・・・」(安岡治子訳『地下室の手記』144ページ)

シモノフが主人公(俺)に集まりの時間の変更を知らせなかった。「俺」はひとり早く来てしまい・・・はっぱふみふみ・・・

当事者の「俺」がちょっと離れたところにいるなら『あんな仕打ち』で結構だが、目の前にいるようだす。でね、フェルフィチキンは、シモノフが時間を変更したのに「俺」に知らせないのをその時点で知っていた、そして、そのことを隠そうともしないのか、と勘ぐってしまうところであります。

ま、これもどうでもいいか。ほんのちょびっと、気になったもんで。原文の読めない読者はいろんなことを手がかりに想像をたくましくしちゃうんだから。

しかしなんだね、「あんな仕打ちを受けた」上に、「擁護」までされたんじゃたまらんのう。しかも、「つもり」ときちゃ、ぼんくらじゃなくておせっかいか・・・が、『地下室の手記』はいずれまた・・・

カラマーゾフの兄弟ですが・・・・・

亀山訳は、亀山先生ご自身が全巻チェック、ということでよろしゅうございました。

米川訳の変なところはそのままでいいのかな・・・・・大先生だからいい?古いからいい?・・・・・それ、読者は関係ないでしょ。今も売ってるんでしょ。引用なさっている方はスタンダードたりうるものとして保証してることになるでしょ。

スタンダードを明確に!

そんなこと言ったって・・・ダメよ ダメエダメ・・・・・あれ、まだ引きずってる。

それはそうと、原卓也先生のお訳はいかが、てなわけで、ついに買っちゃいました。新潮文庫。・・・変な文章。変な訳。ありそう・・・・・だろうと思ったけどさ。

原訳は、ウェブ上でいくつか拝見したところからすると、比較的原文に忠実、冒険はしない、というかいま一歩踏み込みが、って感じかと思っていましたが、意外に思い切った訳をしているところもあってびっくりしました。それはいずれ気が向いたら・・・

忠実で、余計な解釈を持ち込まないってのは、とても結構ですが、逆に言うと、そっけない、これ、考えて訳してらっしゃるのかしら、てな感も受けるわけで。ひとつ例をあげるとすると・・・

中巻、第七編アリョーシャより、164ページ:

パイーシイ神父は柩のわきのイォシフ神父とふたたび交替し、また福音書の朗読を受けついだ。

Отец Паисий снова заменил отца Иосифа у гроба и снова принял от него чтение Евангелия.

「また」が曲者なのね。一見、後のほうのсноваに相当?いいえ、朗読はイォシフ神父が始めた。だから、この「また」は再びの意味じゃない。сноваは「受けついだ」に含まれるんだなや。つまり、「また」はи?

この「また」は必要か?原先生は考えた。сноваが繰り返されている。したがって、「朗読を交替して受けつぐ」のではいけない。「交替し」には(持ち場を)とかが隠されている。だから、「また」で区切らなくちゃ。

しかし、このи、「また」が適当とはいい難い。してみると、どう見ても、сноваの名残り。つまり、あいまいな日本語に移しただけ。というか、日本語にしてから意味が変わった。というか、変な日本語。

じゃ、どうすればいい?亀山先生は軽快。3巻15ページ。

パイーシー神父は棺のそばにいるヨシフ神父に代わって、福音書の朗読を引きついだ。

これでなんのことはない、って言えばそうなんだな。しかし・・・・・сноваを二つ配した意味をとらえるには、なにを交替したかを考えればいい。すなわち、

パイーシー神父は再びヨシフ神父に代わって棺のそばにつき、福音書の朗読を引きついだ。

ところで、米川訳は、2巻233ページ:

パイーシイ主教はヨシフ主教の姿を棺の傍に認めたので、再び代わって福音書の読誦を引き受けた。

論評無用。どうも第七編の出だし、米川先生、ご不調のよう。それも・・・どうでもいいことだ・・・でも、言いっぱなしでは言いがかりになるから・・・229ページから

永眠せる大主教ゾシマ長老の遺骸は、官位に相当する一定の儀式を蹈んで葬らなければならなかった。人々はその準備に着手した。これは誰しも知るところであるが、僧侶や隠遁者の死体は湯灌しないことになっている。『僧位にあるもの神のみ許へ去りたる時は(と『大供養書』にも書いてある)、指命を受けたる僧侶これが遺骸を温湯もて拭い、その額、胸、手、足、膝に海綿もて十字を描くものとす。その他なにごとをもなすべからず。』これらのことをことごとく、パイーシイ主教は故長老の遺骸に行った

官位に相当する一定の儀式を蹈んでーпо установленному чинуー定められた儀式にのっとって

遺骸を温湯もて拭い、その額、胸、手、足、膝に海綿もて十字を描くものとすーотирает тело его теплою водой, творя прежде губою (то есть греческою губкой) крест на челе скончавшегося, на персех, на руках и на ногах и на коленахーまず唇で(つまり海綿で)、個人の額、胸、両手、両足、両膝に十字を切りながら、遺体を温湯でぬぐい、

これらのことをことごとく、パイーシイ主教は故長老の遺骸に行ったーВсё это и исполнил над усопшим сам отец Паисий.ー長老に対してはパイーシイ神父がみずから、これらすべてを行った。

i以上、米川訳ー原文ー原訳。論評無用、ですね。
しかし、ここは原訳が米川訳より正しいってだけのことで、よそはまた別かも・・・
ちょっと調べてみようかなあ

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