亀山訳で読む大審問官(9)
なんだかよくわからないところを残したまま大審問官の章も過ぎようとしている・・・亀山訳「カラマーゾフの兄弟」2の第5編の5
286ページ:彼らは臆病になり、われわれを見て、まるで親鳥に寄り添うひな鳥のように、われわれにぴたりと体を寄せるだろう。
Они станут робки и станут смотреть на нас и прижиматься к нам в страхе, как птенцы к наседке.
станут робкиが「臆病になり」なら、 станут смотреть на нас は「われわれを見るようになる」だよねえ。え、そう単純なもんじゃない?でもそんなようなもんでしょ。それに、ただ「見る」じゃなさそうだべえ。「一目置く」?いや、ちゃうちゃう。それじゃ偉そうだわ。ふうむ。それと、あれね、в страхеが訳されてないよ。これは怖がってるってことだな。
彼らはびくびくとしてわれわれを伺うようになり、恐怖心から、親鳥に寄り添うひなのように・・・
うまくない!勘弁してちょ。
287ページ:彼らは、自分の良心がかかえるもっとも苦しい秘密を、いや、なにもかもを、われわれのところに持ち込んでくるだろうし、われわれがそのすべてを解決してやる。そして彼らは、われわれの解決を大喜びで受け入れるだろう。なぜならその解決は、すべて自分ひとりで解決しなければならない現在の大きな心労や、恐ろしい苦しみを取り除いてくれるからだ。
Самые мучительные тайны их совести — всё, всё понесут они нам, и мы всё разрешим, и они поверят решению нашему с радостию, потому что оно избавит их от великой заботы и страшных теперешних мук решения личного и свободного.
どうもなんですな、わかりやすくしてやろうってんで、かみ砕きすぎではなかんべえか。どこがあかん?て、いや、あかんちゅうか、そのですね、великой заботы (大きな心労)の意味合いとか、それに関連してрешения личного и свободного(すべて自分ひとりで解決しなければならない)の訳語とか、теперешних(現在の)の位置とか、んんん、でござるよ。どこから行くう・・・
やっぱし自由から。「свободного=自由な」はこの章のルールみたいなものでがしょう。そいでね、разрешимを解決する、としたので、решенияも解決とされたのだろうが、「彼ら」が自分でするのは、解決、というより、決断、決定でしょ。「個人の自由な決断」の心労、苦しみ。それからзаботы(心労)。この言葉がどんなふうに使われているかは270ページや272ページ(そこでは心配)を参照して。さらにтеперешнихはмук(苦しみ)を修飾。要するに、自由な決断をする、その都度存在するのが当面の苦しみ、常にそれを求められていることが大きな心労。直訳:
なぜならそれは彼らを、個人が自由な決断をするという大きな心労や恐ろしい現在の苦しみから救ってくれるからである。
なお、「受け入れる」、原文ではповерят(信じる)。「われわれの決定」を受け入れる、というより、信じる類のことがらについて言ってるわけだ。
289ページ:兄の話に黙々と耳を傾けていたアリョーシャは、終わりに近づくにつれてはげしい興奮にとらわれ、なんども話をさえぎろうとしては、なんとか自分を抑えている様子だった。だが、ついに弾かれるようにして立ちあがり、いきなり話しだした。
вдруг заговорил, точно сорвался с места
よくわからないんですがね、точно сорвался с местаは、実際に急いでどこかへ行こうとしたのか、そうでなければзаговорил(話しだした)様子を形容したんじゃないですかね。どこへも行きゃあしないんだから、「いきなり弾かれるようにして話しだした」のでは?
290ページ:そんなのはローマです、ローマといってもぜんぶじゃない、ぜんぶと言ったら嘘になる・・・・・そんなの、カトリックのいちばん悪い連中です、審問官です、イエズス会の連中です。
Это Рим, да и Рим не весь, это неправда - это худшие из католичества, инквизиторы, иезуиты!..
それはローマです、(・・・)それは嘘です、それはいちばん悪い連中です - 真ん中だけ、組織、人じゃない。だから真ん中の「それ-это」だけ違う、だから「それ」=「ぜんぶと言ったら」ってのはわかるんだけど・・・だけど、どこを受けて「それ」って言ってるのか。それに途中でトーンダウンするような言い方をするだろうか・・・да и も「といっても」というより「しかも」の上げ潮路線じゃないかと思うんだけど。文脈からэтоは「自由についてのそのような理解のしかた」で、ローマというのはローマの理解を略したものでよろしいんじゃないでしょうか。
えー、と、例のドストエーフスキイの会の点検その後に関連して。前回書いた付録の「これはおまえか?」のところを見ている時、つい、その上のところが目に入っちゃって。大審問官と関係ないけど、今書いておかないと忘れちゃうので。亀山訳カラマーゾフの兄弟1の413ページ
「さあ、命が惜しけりゃ、金を出すんだ!」
「なあんだ、兄さんか!」アリョーシャは、震えあがったが、それでも驚きのほうが強かった。
- Так это ты, Митя! - удивился сильно вздрогнувший, однако, Алеша
森井さんの的確な指摘、NNさんのもう一歩つっこんでほしい解説、木下さんの反亀山以外なんの視点もないコメントについては「点検その後」のいちばん後ろを見ていただくとして、この一文ではっきりさせなければいけないのは(はっきりさせたところで全然どうってことはないから、NNさんの態度が賢明かもしれないが)、однакоだろう。однакоがなければ、亀山さんもこのような訳をしなかったにちがいない。
しかるに、NNさんの解説は、『原訳(「なんだ、兄さんじゃありませんか!」ひどく震えあがったアリョーシャは、びっくりして言った。)は基本的な意味は確実に捉えている。“однако アドナーカ(それでもやはり)”という間投詞が反映されていないのは、おそらく意図的なものでしょう。この間投詞はロシア人にも些か場違いに映るようですから、敢えて無視したものと思われます。』として、それを軽視なさっている。
いやいや、解説のなかでちゃんとоднакоを踏まえた訳を示している:「震え上がったアリョーシャは、それでもやはり、驚きの声を上げた」とおっしゃるか。したがどうだ、この文ちとおかしかないか?震え上がって、「なあんだ」という驚きの声を上げるのに、なぜ「それでもやはり」なんだ?森井さんはそこは突っ込まないのか?・・・なんてね。要するにさ、ロシア人でも場違いに映るなら、余計に穿鑿すべきだんべえ。
森井さんは時間的経過に注目なさっているが、まさにそこ、この一文自体が時間的経過に逆行しているじゃないか。なんだ、驚き、однако、震え。このоднакоは時間を逆行してるんだ。りはやもでれそ・・・違うってば。こんな驚きの声を上げたが、(森井さんの言う認識の前には)それでもやはりひどく震え上がったのだった。・・・って訳すわけにはいかんしな。
「なあんだ、兄さんか!」と驚きの声を上げたけれど、本当はすっかり震え上がったアリョーシャではありました。
こんなんにすると袋叩きかい。
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