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2007年1月12日 (金)

罪と罰・ラスコーリニコフ

раскольник(ラスコーリニク):1.反体制者、2.分離派(ラスコーリニキ:正教の異端的宗派)教徒。ラスコーリニコフはラスコーリニクが語尾変化して人名化したもの(これについてはannaさんのコメントをご覧ください。annaさんありがとうございます)。この名前が選ばれたその意味は?

検事のポルフィーリー・ペトローヴィチによればペンキ職人のミコールカが分離派教徒である(第六部第二章)。ラスコーリニコフは質屋の老婆を殺して財布と品物を盗み、その四階の部屋から逃げる途中、人をやり過ごすために二階の部屋に隠れ、そこにイヤリングを落としていく。仕事をやりかけで空けていたこの二階の部屋に戻ったミコールカがイヤリングを拾い、金に換え、飲んでしまい、発覚し、逮捕され、やってもいない老婆殺しを自白する。なぜミコールカが犯してもいない罪を自白するのか、ポルフィーリーはラスコーリニコフに説明する。

А  известно  ли вам, что он из раскольников, да и не  то  чтоб  из  раскольникова  просто сектант;

「ご存知ですか、あの男はラスコーリニクでして、といっても反体制派というのではなく、単なる宗派ですがね。」(из раскольниковはラスコーリニキに属するというような意味。単なる宗派と言った時点で分離派教徒の意味とわかる。)が、こういう表面上の訳はほとんど意味がなく、ここはラスコーリニコフという音によってラスコーリニコフと読者の注意を引きつけ、ラスコーリニコフという名が背負ったものを説明する場面と考えてみよう。では、ポルフィーリーのセリフの続き:「(ミコールカの)家族にベグーン教徒がいまして、彼自身も最近までまる二年、村の、ある長老に帰依し、修行していたんです。(中略)さてです、この監獄ってやつに入って、思い出したんですね、どうやら、今こそ尊い長老のことを。聖書もまた現れた。おわかりですか、ロジオン・ロマーヌイチ、彼らのうちのある者たちにとって『苦しみを受ける』ことが何を意味するか?これは誰かのためにというのではなく、そうやってただ『苦しまなければいけない』のです。すなわち、苦難を受け入れることを意味し、まして権力から、となればなおさらのことなんです。(以下略)」--つまり、ミコールカは信仰に突き動かされ、苦しみを求めて自ら罪を引き受けた、分離派教徒はそういうことをすることがある、とポルフィーリーは言っているわけである。

そこで、ラスコーリニコフ、という名前だが、『思想信条に従って自ら苦しみを求めていく異端的な者』という意味が込められていると考えることができる。

では、ラスコーリニコフの思想信条とは何か。ピョートル・ペトローヴィチ・ルージンの尻馬に乗ってラスコーリニコフを無神論者とか超人思想の持ち主とか考える人もいるようだが、そうではあるまい。もちろん、その時代の人として、ラスコーリニコフも無神論を心に抱え込んではいるが、彼の心は揺れ動き、人間の力を超えるものに焦がれているし、例の凡人・非凡人の思想にしてからが、彼の背後でドストエフスキー自身が『新しい言葉』を発することを意識していると考えれば、本質的には無神論と相容れないものであるのは明らかである。彼の心のありようを見るには、まず、あの『馬の夢』の場面のあたりがいいと思う。気が向いたら訳してみようと思うが、少し長いので・・・なお、この夢の中で馬を虐待する男の名もミコールカであることは注目してもいいかもしれない。それから、江川卓さんは、ラスコーリニコフの揺れ動くこころについて、『ラスコーリニコフの魂を舞台にした神と悪魔の闘争』とおっしゃっているが、そういう観念的な見方は、人間ラスコーリニコフを、そして物語の具体性を矮小化するので、大上段に振りかぶらず、チラッと頭の隅に感じるぐらいがいいと思う。

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コメント

罪と罰・ラスコーリニコフ読ませていただきました。
「なぜミコールカが犯してもいない罪を自白するのか」は、私も疑問に思うところでした。ポルフィーリーの説明する「ミコールカは信仰に突き動かされ、苦しみを求めて自ら罪を引き受けた、分離派教徒はそういうことをすることがある」というのは、少し苦しい説明のような気がいたします。
ラスコーリニコフの子供の頃の夢の中の男ミコールカが虐待する馬に対するラスコーリニコフの優しさは、我々と同じ全うな健全な気持ちと思います。
ラスコーリニコフは、例の凡人・非凡人の思想により、『間違った思想信条に従って自らを苦しみに追い込んでいってしまう異端的な者』というのが、正しい表現ではないでしょうか?
しかし、一人のキリスト教徒の女性の感化により、ラスコーリニコフを間違った思想信条から、ラスコーリニコフの持つ彼本来のキリスト教徒的優しさへと引き戻すことに成功したのではないのでしょうか?
私の下記ブログへもどうぞ訪問を!
http://blog.goo.ne.jp/petro2006/

投稿: 一粒の種 | 2007年1月12日 (金) 23時14分

コメントありがとうございます。参考にさせていただきます。

投稿: coderati | 2007年1月21日 (日) 10時26分

確かにраскольникが格変化(複数生格)したものもраскольниковとなりますが、ここではраскольникの物主形容詞です。-овを語尾に付けることにより、人名化します。
例えばПетровさんが、Петр(岩を意味する)に由来する姓であるのと同じ法則です。
ロシア語を学んでいる一人として、つい口を出してしまいました、失礼しました。

投稿: anna | 2007年7月31日 (火) 00時28分

ははは、知りもしないことを書くもんじゃありませんね。しかし、それがありのままのわたしを表してもいるわけで・・・annaさん、ご教授ありがとうございました。
なにしろわたしはまったくロシア語を習ったことがないのでほんとは何が何やらさっぱりわからないんです。変なことがあったら指摘していただけると助かります。
そうそう、皆さん、くれぐれもわたしのでたらめを信用しないように。
annsさんのご指摘を受け、本文を少し修正しました。

投稿: coderati | 2007年7月31日 (火) 09時48分

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» 「罪と罰」を読み終えて [一粒の種談話室]
「罪と罰」を読み終えました。名作です。学生時代は、ロシア文学というと、暗い陰鬱な感じと小難しいという先入感が邪魔して、手にも取ることがありませんでした。 薄幸な娘ソーニャは、キリスト教を信じる。ソーニャは、主人公ラスコーリニコフから彼女の知人を殺したことを告白されると、彼に警察への自首を勧める。「四つ辻へ行って、みんなの人におじぎをして、地面に接吻をなさいまし、あなたは地面に対しても罪を犯しな�... [続きを読む]

受信: 2007年1月12日 (金) 23時16分

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